忍者ブログ
スポンサード リンク

祭りいくよ!

日本には心沸き立つ、すばらしい祭りがたくさんあります。お囃子、太鼓、山車が走る、花火大会。日本の心。日本の祭 2013。

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

「相馬野馬追祭」戦国時代のその昔から一千有余年の歴史を持つ国の重要無形文化財に指定されている伝統行事

スポンサード リンク

nomaoi2010-1
Photo:nomaoi2010-1 By NATSUKO KADOYAMA

「相馬野馬追」(そうまのまおい)は、福島県南相馬市(旧原町市)を中心に相馬地方において開催され、戦国時代のその昔から一千有余年の歴史を持つ国の重要無形文化財に指定されている伝統行事です。

一千有余年の歴史を経て 今なおいきづく伝統の祭り

 一千有余年の昔、相馬氏の祖といわれている平将門が下総国(千葉県北西部)に野馬を放ち、敵兵に見立てて軍事訓練を行ったのが始まりと伝えられ、現在では、毎年7月末の土曜日・日曜日・月曜日、甲冑に身を固めた500余騎の騎馬武者が腰に太刀、背に旗指物をつけて疾走する豪華絢爛で勇壮な戦国絵巻を繰り広げる。

引用元:相馬野馬追 - 南相馬市
起源は千年以上も前、明治維新までこの地を治めてきた相馬氏の祖とされる平将門が、野馬を敵に見立てて軍事演習を行ったことに始まるといいます。古くは5月の申の日に行われていたといい、何度か廃絶の危機や日程変更を伴いながら現在まで続いています。近年は7月23~25日に行われてきたが、2011年から7月最終の土、日、月曜開催に変更された。

1日目の宵祭りは、3社に集合した武者が出陣式の後、祭場地に向かい、古式馬具をつけて「宵乗り」と呼ばれる競馬を行う。2日目の本祭りは、装飾された馬に甲冑姿で乗る騎馬武者が隊列を組んで祭場地に向かう「お行列」で始まる。続いて、兜(かぶと)を脱いだ騎馬武者が旗指物をなびかせながら疾走する「甲冑競馬」、打ち上げ花火に仕込んだ神旗を騎馬武者が奪い合う「神旗争奪戦」が繰り広げられる。3日目は、小高神社境内に追い込んだ裸馬を素手で捕らえて奉納する「野馬懸(のまがけ)」の神事がある。

相馬市相馬家では、白餅忌避といい、白い餅を禁じていましました。秀郷が将門のところへ訪れたとき、将門は浴室に居たため、髪を束ねず白朋衣を着て、短刀を妾に持たせたまま対面したといいます。この無礼な振る舞いに、秀郷は「将の器にあらず」として、官軍を率いて将門を滅ぼすことになった。将門が白色の御衣より滅びたので、その色を食すに忍びずということから白餅を禁じたということです。

将門没後、数代の間は野馬追いも出来なかったと思われますが、相馬氏の一族の岡田氏が葛飾に住んで、わずかに野馬追を続けていたと伝えられています。頼望より六代目の重国の代になって千葉介常兼(千葉城に居住)より所領を分け与えられ、下総国相馬郡守谷(現在の守谷市)に移り、信田の名を改め相馬を名のり相馬家を再興しましました。重国から胤国、師国と続き、師国に子がなかったので、養子として迎えたのが、本家筋の千葉常胤の次子・師常であり、ここに師常は将門の正統を継いです。そして、師常の頃から、晴れて先例のように小金ヶ原で毎年五月中の申の日に野馬追を行うようになったとするのが一般の伝承のようです。

岩迫から野馬に見立てられた馬が、騎馬武者たちに追われ、竹矢来の中に追い込められます。野馬の追い込みが終わると、神馬にふさわしい馬が選ばれ、お小人といわれる白装束の男たちが、必死でこの馬を捕まえにかかります。馬を捕まえると、神前に導いて奉納し、松の杭に繋ぎます。追い込んだ馬を全て捕まえるとセリが行われて、相馬野馬追の行事が全て終了となります。



甲冑について勇壮な騎馬武者たちが身にまとっている甲冑ですが、相馬では「たちばな甲冑工房」において、全国でも数少ない甲冑師のひとり橘斌氏が甲冑の制作・修繕にあたっています。鍛冶、彫金、漆塗り、染色など1万点にも及ぶ部品全てが手作りのため完成まで3〜5年はかかります。

相馬野馬追祭りのハイライトは、なんといっても騎馬武者の勇猛果敢さをいかんなく発揮する本祭りの「甲冑競馬」ではないでしょうか。この祭場地では式典の後、甲冑競馬が行われます。1周1000m、10頭立てで10回行われるそうです。

神社境内で、総大将を中心とした宇多郷勢の出陣式を終えると、参道で行列を整え、中村神社の御鳳輦に従い、総大将を守る宇多郷勢はほら貝と陣太鼓の音を合図に大手門から繰り出し、市中を一巡して、南相馬市鹿島区に向かいます。

甲冑競馬・神旗争奪戦・お上がり原町の行列は、一旦旧街道の新田川原付近に集結して、そこから祭場地の雲雀ケ原に向けて開始されます。太田神社に従う中郷勢を先頭に、小高神社に従う小高郷勢と標葉郷勢、中村神社に従う宇多郷勢と北郷勢が続きます。

日本三大荒神輿と呼ばれる「塩釜神社帆手祭」重さ1トンもの神輿が神社の202段の急坂を上り下りし転げ落ちそうなスリリングさは息をのむほどの迫力

スポンサード リンク



日本三大荒神輿と呼ばれる塩釜神社帆手祭、始まりは正月の神輿洗神事で、火伏せの祭りとして行われていたが、現在は海にゆかりのある帆手まつりと呼ばれ、厄除け、繁栄も祈念して、神輿が市内を御神幸する勇壮で豪華絢爛な迫力あるお祭りをご覧いただけます。

~火伏せを祈念する日本三大荒神輿の一つ“しおがまさまの荒みこし”~ 
 奥州一宮の鹽竈神社における早春の神事が、日本三大荒神輿と呼ばれる鹽竈神社帆手祭。元々は正月の神輿洗神事で、火伏祭として始まったものだが、後年海にゆかりのある「帆手祭(ほてまつり)」と呼ばれるようになり、現在では厄除け、繁栄も祈念して、神輿が市内を御神幸する。
 最大の見所は、重さ1トンもの神輿が16名の担ぎ手によって、202段もの急な表参道(通称、男坂)を下りる様子である。その緊迫感は、参拝者も思わず息を呑むほど。お帰りの神輿が表参道を上がる様子も迫力満点。 
500人を超えるきらびやかなお供、稚児行列を従えた市内の御神幸など、港町塩竈が一日中活気にあふれ、市民にとっては、春の風物詩となっている。

◆開催日/平成25年3月10日(日)<毎年同日>
◆時間/12:30頃~20:00頃
◆場所/鹽竈神社境内~塩竈市内
◆交通/JR仙石線・本塩釜駅下車、徒歩10分。仙台市内より車で約45分。

引用元:鹽竈神社帆手祭(ほてまつり) 平成25年3月10日(日) - 宮城まるごと探訪
重さ1トンもの神輿が16名の若者にかつがれて、202段もの急な表坂(通称、男坂)を下りる様であるその緊迫感は、参拝客も思わず息を呑むほど。お帰りの神輿が表坂を上がる様は迫力満点。

途中太鼓が鳴りだし、エイヤーというかけ声とともに、神輿(=神)を押し上げて行く様は、神と人間が本気で対峙しているように思え、体が震えます。

その緊迫感は、参拝客も思わず息を呑むほど。お帰りの神輿が表坂を上がる様は迫力満点。 500人を超えるきらびやかなお供、稚児行列を従えた市内の御神幸など、港町塩竈が一日中活気にあふれ、市民にとっては、春の風物詩となっており華やかなお祭りです。

重さ250貫(約1t)の神輿を氏子が担ぎ、鹽竈神社の参道・表坂を一気に下り、さらに市内を勢いよく御神幸する勇壮な祭りです。約300年前、火伏祭として町内の厄除けと繁栄を祈願して始まり、神輿洗いの神事とも呼ばれています。港町塩竈で行われることにちなんで、帆手祭と呼ぶようになりましました。



みなと祭「塩竃みなと祭」は、終戦直後の混乱が沈静化の兆しを見せ始めた昭和二十三年、大神様の御加護により、戦前の活気を取り戻そうとして始められた氏子祭りで、当初は七月十日の鹽竈神社御例祭に併せて、斎行されておりましました。当時は奥州一の宮鹽竈神社の御神輿を、「御座船鳳凰丸」に奉安し、百数十艘に及ぶ大小の供奉船を従えて日本三景松島湾を渡御する姿は、さながら平安絵巻を見るようであったと伝えられております。その後、祭典日を八月五日と改め、今日まで続いております。平成17年からは市民の総意により7月の海の日(第三月曜日)と改められ斎行されています。

石巻川開き祭りは、楽しそうに笑った子ども達を見ることができる鎮魂と復興の願いを込めた催し

スポンサード リンク

a beacon of hope from Tohoku
Photo:a beacon of hope from Tohoku By Shinichi Higashi

川開き祭りとは

石巻川開き祭りとは、宮城県石巻市において毎年8月1日、8月2日に開催され、 江戸時代に北上川の治水工事を行い、現在の石巻の発展の礎を築いた郷土の偉人である川村孫兵衛翁の偉業を称えるとともに、 水難事故によって亡くなった霊を弔う為に行われる祭りです。

花火大会、大漁踊り、孫兵衛船競漕など、様々なイベントが開催され、石巻周辺地域、宮城県内のみならず、 県外からのお客様も多数いらっしゃる、石巻地方最大の祭りです。

本年度は、3月11日に発生した大震災の被害を鑑み、亡くなった多くの方々の慰霊を主な目的とし、規模を縮小して開催されます。

引用元:川開き祭りとは - 石巻川開き祭りファンサイト
石巻川開き祭りは、仙台藩祖伊達政宗公の命受けて、北上川を開削した「川村孫兵衛重吉」の報恩感謝と街の繁栄を願って、また海難・水難者の慰霊をする祭りとして、大正5年(1916年)の旧盆7月20日に当時の石巻町主催で第1回が開催されましました。

2013年の川開き祭り開催が決定いたしました!
7月31日(水)・8月1日(木)の2日間で開催いたします

引用元:第90回 石巻川開き祭り 宮城県石巻市 復興への祈りを込めて
石巻川開き祭りは去年とは、街の雰囲気も変わり、例年の川開きの空気を取り戻していたように感じましました。震災から1年5ヶ月。まだまだ、復興の最中ですが、楽しそうに笑った子ども達を見ることができて、とても嬉しくなりましました。

この歴史ある川開き祭りの中でも鼓笛隊パレードは特別で、石巻市民は一生に一度だけ参加することが出来る大イベントなのです!自分が出て、子どもも出て、親戚が出るお祭りに集まった、大勢の人から注目されることになる、この鼓笛隊パレードで演奏をする小学生は、この日は街中のヒーローになります。

2006年の開催では、自衛隊松島基地のブルーインパルス展示飛行の行なわれました。

元来から、夏祭りならではのエネルギッシュなイベントを前に、供養祭、川施餓鬼供養祭などの祭典行事が厳粛に行われ、川の恵みへの感謝とご先祖様の供養に始まったお祭りで、東日本大震災の2011年も開催し、鎮魂と復興の願いを込めた催しです。

リロバケーションズ宿泊予約プロモーション

石巻の夏は川開きで、夏になると川開きを思い故郷の石巻を感じる人は大勢いると思います。今年、鼓笛隊パレードを披露してくれた、小学生達へとつなげる、街づくりに参加しませんか? 今の石巻では多様な知恵と技術が集まり、ロンドンと同じぐらいに熱気を感じる街づくりが行われています。

石巻川開き祭りは石巻の誇りでしました。街の中を夏休み中の子ども達が楽しそうにはしゃいでいて。鼓笛隊パレードをやり終えた小学生は、その日は、とってもかっこ良く見える。今年で88回目を数える石巻川開き祭りは、石巻の人にとってとても大切なイベントです。

「仙台七夕まつり」1500本をこえる竹飾りの青竹に飾られた和紙と風が織りなす夏の風物詩

スポンサード リンク

Sendai - Tanabata Matsuri - Fukinagashi (仙台・七夕祭り・吹流し)
Photo:Sendai - Tanabata Matsuri - Fukinagashi (仙台・七夕祭り・吹流し) By YoAndMi

仙台七夕まつりは,青竹に飾られた和紙と風が織りなす夏の風物詩。吹き流しや仕掛けものなど趣向をこらした1500本をこえる竹飾りが,アーケード街にアーチを描きます。その豪華さは目を見張るばかりですが,市民の心意気でそれぞれの地区の街角を彩る吹き流しもなかなかのもの。夕方からのイベント「星の宵まつり」では、華やかなステージが繰り広げられます。
前夜祭として行われる花火祭は,西公園周辺がベストロケーション。

引用元:仙台七夕まつり | せんだい旅日和
仙台七夕まつりは、絢爛豪華な飾り付けばかりが特徴ではありません。仙台伝統の七つ飾りがどの竹飾りにも下げられていることや、本物の和紙で作られる手作りの七夕飾りなど、400年間続く仙台七夕の良き伝統が現代にもきちんと守られております。仙台七夕まつりは新しい試みを加えつつ、仙台の誇れる文化として次世代へと継承されていくことでしょう。

わが国では、平安時代以来、宮中の乞巧奠は清涼殿の東庭でおこなわれたと伝えられています。これが民間にも普及されたのは江戸時代で、少女は技芸の上達を願い、男の子も字が上手になるようにと、さと芋の葉の露で墨をすり短冊に和歌や願いごとを書きましました。仙台に七夕祭が始まったのは伊達政宗時代と伝えられています。わが国の七夕祭は、中国の乞巧奠そのままの行事ばかりでなく、以前から行われていた日本固有の信仰がからんでいましました。七夕祭の飾り付けには、七つの飾り物があり、色々のいわれがあります。

仙台では、七夕の笹のついた竹は、その小枝を落とし物干竿に使用し、小枝は七夕飾りのついたまま7日朝(時代によっては8日朝)、広瀬川に笹を流して、水を浴び、洗い物をしましました。この日を七日浴(なぬかび)とも七日盆ともいい、本来は「みそぎ」をして盆祭に入る準備をする日だったのです。



仙台発祥のくす玉今では仙台の七夕飾りの大きな目玉の1つともなっている「くす玉」を考案したのは、一番町の森天佑堂の主人、森権五郎さんという方でしました。昭和21年ころ、まだ復興もおぽつかないある日のこと、森さんは庭に咲く美しいダリアの花に目をとめましました。そして思ったのです。「この花を七夕飾りに利用できないか」…と。さっそく、きれいな京花紙をかごに付けて二つ合わせ、丸くして飾ってみましました。これが仙台のくす玉の始まりです。以来、その華やかさにひかれて、いつしか吹き流しとともに七夕の主流となりましました。

伝統を受け継ぐ中にも、現代的なセンスがキラリと光る笹飾りは、市民や各商店が工夫を重ねた手作りによるもの。規模の大きな祭りでありながら、ほのぼのとした温もりが感じられるのは、こんなところにも起因しているのです。

1873(明治6)年の五節句廃止後は全国的には七夕衰微に向かう中、仙台七夕は古来より農業やお盆と深く関わってきたことが、独自の七夕を形成してきたと言ってよいでしょう

1923年(大正12)年の関東大震災後の不景気を乗り切るため、商店街では連合大売出しが企画されましました。従来の七夕にはなかった“商店街の七夕”が登場しましました。

1926(大正15)年には、東一番丁、名掛丁、新伝馬町、大町通り、国分町、南町通、大町五丁目共同会で、会長の佐々木重兵衛氏を中心に、桜井常吉氏、三原庄太氏らが協力して、町内一斉に七夕を飾りつける高さ約5mの大笹2本を設置

1928(昭和3)年、不景気で衰微に傾く七夕の復興をめざして「第1回全市七夕飾り付けコンクール」が行われましました。その後、七夕は年毎に盛大になり、第5回開催の1932(昭和7)年では、当時の仙台市の人口20万人に対し七夕の人出は15万人を数え、全国に仙台七夕の名をとどろかせましました。“観光七夕”がクローズアップされてくるのもこの頃です。

戦後、1946(昭和21)年の8月6日・7日の両日、東一番丁、新伝馬町、大町通り、国分町、立町通りなど11町会で、8月6日夕方から一斉飾りつけをし、3日2夜にわたる七夕が復活しましました
戦後、1946(昭和21)年の8月6日・7日の両日、東一番丁に10年ぶりの竹飾り52本が立てられましました。戦後七夕の復興です。当時の新聞には「涙の出る程懐かしい十年ぶりの七夕祭」との見出しが踊りましました。

復活した仙台七夕まつり不景気を吹き飛ばそうと昭和2年、商家の有志達が仙台商人の心意気とばかりに、華やかな七夕飾りを復活させましました。大町五丁目共同会で、会長の佐々木重兵衛氏を中心に、桜井常吉氏、三原庄太氏らが協力して、町内一斉に七夕を飾りつけましました。久しぶりにその光景を目にした仙台っ子達は喝采し、飾りを一目見ようとする人で街はあふれましました。

江戸時代の仙台七夕まつり江戸風の七夕をとり入れた仙台では、七夕まつりのことを「たなばたさん」といいましました。仙台藩祖政宗公は七夕に関する和歌を8首詠んでおります。この時すでに七夕の行事を取り入れていることがわかります。

仙台・青葉まつりでは、途絶えかけた伝続の「すずめ踊り」を復元

スポンサード リンク

すずめ踊り@仙台・青葉まつり
すずめ踊り@仙台・青葉まつり / e_haya


風薫る五月の第3日曜日とその前日に開催される仙台・青葉まつり。その日は、賑やかな市がたち並び、街のあちらこちらでお囃子の音が響き、通りはすずめ踊りで埋めつくされる。日曜日は、神輿渡御や武者行列、そして11基の豪華絢爛な山鉾が登場する仙台山鉾巡行でまつりはクライマックスを迎える。

第29回 仙台・青葉まつりは
平成25年5月18日(土)・19日(日) 開催いたしました。
テーマ:「明日への力を 百万人の情熱祭」
多くの皆様のおかげで無事終了することができました。
ご来場・ご参加・ご協力頂いた全ての皆様に
心より感謝申し上げます。

引用元:仙台・青葉まつり
粋なすずめたちが街中で跳びはねる—宵まつり初日の「宵まつり」では、街中におはやしが流れ、1日中すずめ踊り一色に染まります。中央通や一番町の商店街では、あでやかな流し踊り。勾当台公園市民広場・国分町元鍛冶丁公園では子すずめ踊りや学生たちの元気あふれる舞台踊り。夕方からは、定禅寺通を会場に、初参加や飛び入りの子どもたちによる「すずめっ子1000人祭連(まづら)」や、各祭連の流し踊りが披露されます。

ケヤキの街路樹が美しい「定禅寺通り」今年で29回を数えるこの祭りは、「仙台七夕」や「SENDAI 光のページェント」と並ぶ仙台三大祭りの1つです。仙台藩祖・伊達政宗の偉業をしのび、伊達の文化や歴史を継承・発展させていくという、市民総参加型のイベントなのです。

巡行の先頭は、子ども武者や稚児などから成る「先導隊」です。後続は、「青葉神社神輿渡御(みこしとぎょ)」。政宗公の御霊が神輿に乗せられ、白装束に烏帽子を被った氏子によって担がれます。仙台藩士会の面々が裃(かみしも)姿で加わります。

青葉まつりの由来・概要

 江戸時代・仙台藩最大の祭りといえば、仙台祭であった。

 この祭りは承応4年(1655)年に始まり、毎年9月17日に行われた東照宮の祭りで、藩をあげて行われ最大70基の山鉾が城下を練り歩いた(山鉾がでるのは藩主が仙台にいる年のみ)。

 明治時代になると、これにかわって伊達政宗を祀って明治7年にできた青葉神社の礼祭(政宗の命日である5月24日に行われ、青葉祭りとも呼ばれた。)が盛んとなった。

 特に明治18年の政宗公没後250年祭や、昭和10年の300年祭には多くの山鉾が市中に出て盛大に行われた。

 しかし、これも昭和40年代後半、交通事情等により途絶えた。

 現在の青葉まつりは伊達政宗公没後350年を迎えた昭和60年に、長年途絶えていた「青葉まつり」が市民の祭りとして復活したもので、現在では仙台3大まつりの一つとして、市民の間にすっかり定着している。

引用元:仙台・青葉まつり 青葉まつりとは
歴史と伝統を堪能—本まつり2日目の「本まつり」の見どころは、市中心街で繰り広げられる「時代絵巻巡行」です。伊達政宗公を祭る青葉神社の神輿渡御(みこしとぎょ)を先頭に、政宗公本陣武者隊、豪華絢爛(けんらん)11基の山鉾巡行、すずめ踊り大流しへと続きます。



祭りは、震災に遭ったおととしは中止を余儀なくされましたが、昨年は再開され、その心意気は復興へ大きな弾みをつけましました。今年は「明日への力を 百万人の情熱祭」をテーマに、さらに復興の本格化につなげようとしています。

軽快にはね踊る「すずめ踊り」に乞うご期待(写真提供:仙台・青葉まつり協賛会)この踊りの軽快な動きには、目を見張り、引き込まれることでしょう。どうです? 見物するだけでなく、一緒に踊ってみませんか。この日は3回、だれでも飛び入りができるという演舞の機会が設けられます。

「新庄まつり」歌舞伎の名場面や歴史絵巻を再現した山車に照明が灯り、光と影による幻想的な世界が広がる

スポンサード リンク

100_2279
100_2279 / misawakatsutoshi


新庄まつりは新庄城趾鎮座、天満神社(日下樹一宮司)の祭りで、新庄まつりの歴史は宝暦6年(西暦1756年)までさかのぼることができます。この年の前年に起こった宝暦の大飢饉により、新庄藩の領内では多数の餓死者がでましました。そこで5代藩主、戸沢正諶公は領内の士気高揚と五穀豊穣を祈願するために、城内に鎮座する戸沢家の氏神様である天満宮の祭典を命じましました。御輿渡御行列は城内の天満宮のご神体を領民たちが親しくお参りできるようにする目的で城下を練り歩きます。

平成25年度 新庄まつり行事予定スケジュール
8月24日(土)
<宵まつり> ・奉納新庄囃子 8:30~ 戸沢神社・護国神社・天満宮
・新庄囃子合同演奏会 9:30~ 駅前ふれあい広場「アビエス」[観覧無料]
・戸沢神社例大祭 10:00~ 戸沢神社
・灯入れ式 18:00~ 南本町十字路
・宵まつり山車行列 19:00~ 駅前通り通過予定
8月25日(日)
<本まつり> ・天満宮例大祭 7:00~ 天満宮
・まつり行列出発式 8:30~ 天満宮前広場
・神輿渡御行列 9:30~
15:00~ 駅前通り通過予定
石川町ごきげん通り通過予定
・本まつり山車行列 10:10~ 駅前通り通過予定
8月26日(月)
<後まつり> ・奉納 柔道大会 8:30~ 新庄市農村環境改善センター
・護国神社例大祭 9:00~ 護国神社
・奉納 弓道大会 9:00~ 東山武道館
・小若連囃子演奏大会 9:30~ ゆめりあ「花と緑の交流広場」
・奉納 鹿子踊 10:00~ 最上公園
・東日本大震災復興祈念 燦踊祭 10:00~ 駅前通り 他
・飾り山車 15:00~ 駅前・本町・大町・中央通り
・街中鹿子踊 15:30~ 南本町十字路・駅前通り
・手締め式 17:00~ 南本町十字路
・素人歌謡演芸ショー 18:00~ きらやか銀行駐車場

引用元:新庄まつり250年祭
町内若連が1カ月余りかけて精魂込めて作り上げた山車が、子どもたちに引かれて動き出す。歌舞伎の名場面や歴史絵巻を再現した山車に照明が灯り、光と影による幻想的な世界が広がる。宵まつりは、市内南北に分かれて出発した山車が、まつり囃子に乗り「チェレンコヤッサー」の掛け声に合わせて進み、南本町十字路で合流する。そして、駅前通りを駅前広場「アビエス」に向かうころ、祭りは最高潮に達する。

そして、現在は、「新庄まつり」という名称で、毎年8月24日から26日までの3日間にわたって開催され、37万人の人出でにぎわう東北有数の祭りとして、また、東北の夏祭りをしめくくるにふさわしい伝統の祭りとして脚光を浴びています。

その当時は、城下の領民が家にあるものを持ち寄って台に飾り、町を練り歩いたのが原型でしたが、現在のように「日本一の山車行列」といわれるようになったのは、昭和の初めに新庄山車連盟が結成されたのを機に絢爛豪華になっていったのがきっかけです。

初代のころは人形を各町に販売していましたが、新庄まつりの山車の出し物は毎年内容が変わるため、人形を毎年購入すると各町の負担が大きくなりすぎるということで、途中から人形を貸し出す形に変更となりましました。現在、山車を出す町は20町ありますが、すべての町で野川家の人形を使っていただいています。



宵まつり・本まつりに豪華絢爛を競う日本一の山車行列、200人の侍が警護する古式ゆかしい神輿渡御行列、新庄城址で舞われる風雅な萩野・仁田山鹿子踊。藩政時代をしのばせる歴史絵巻が次々と繰り広げられます。時空を超えて浮かび上がる夢幻の光景、四方から沸き上がる熱気と興奮。期間中、まちはまつり囃子の響きに包み込まれます。

山車(やたい) 山車を市民は「やたい」と呼んでいます。「豊年瑞相談」という書物 によると宝暦六年藩主が祭典を命じたとき、城下の人々 は出物や飾り物を自由に出してもいいとの達しで、喜び勇んで参加したと記されています。 この時以来、町衆は若連という組織をつくり、毎年各町内ごとに趣向をこらした山車を作ってまつりに参加しています。 山車は、歌舞伎や歴史物語などの名場面をそれぞれに着飾った等身大の人形を中心に絢爛豪華に作り上げられています。

幻想と神秘に酔いしれる感動の3日間8月24日の宵祭りは、町内若連が1カ月余りかけて、精魂込めて作り上げた山車が、子どもたちに引かれて動き出す。歌舞伎の名場面や歴史絵巻を再現した山車に照明が入り、光と影による幽玄な世界が広がる。

当時新庄藩の五代藩主であった戸沢正諶(とざわまさのぶ)公が、冷害による大飢饉に見舞われ死者が多数出たため、領民の士気向上と五穀豊穣を祈願するのに、翌宝暦6年(1756年)、戸沢氏の氏神である「天満宮」の祭礼を行うように命じたのが新庄まつりの起源とされています。

新庄まつりの歴史は古く、「宝暦の大飢饉」に見舞われた領民たちに活気と希望を持たせるとともに、五穀豊穣を祈願するため、1756年に当時の藩主戸沢正諶が新庄城(現在の最上公園)内に現存する天満宮の新しい祭典を山車をともない行ったのが起源とされ、250年を越える伝統をほこっております。

新庄まつり毎年8月24日~26日に開かれ、3日間で数十万もの観覧客が集う「新庄まつり」。歌舞伎や歴史の物語を再現した絢爛豪華な20台の山車(やたい)が町を練り歩きます。本まつりでは神輿渡御(みこしとぎょ)が行われ、最終日のカモシカを模した「鹿子踊(ししおどり)」と「飾り山車」でまつりは幕を閉じます。

歌舞伎の名場面や歴史絵巻を再現した山車に照明が入り、光と影の幻想的な世界が広がる「宵まつり山車パレード」(国重要無形民俗文化財指定)、「下におろーう。下におろーう。」の声のもと、約170人が厳重に神輿を警護して練り歩く「神輿渡御行列」、カモシカに似せた面をかぶり鶏の羽毛を付け、膝下まで布をまとった七頭の舞子『鹿子』たちの踊り「萩野・仁田山鹿子踊」などが行われます。

24日は宵祭りと呼ばれ、戸沢神社例大祭、灯入れ式、宵祭り山車行列がおこなわれます。山車は20の若連と20の囃子若連が組んで構成されます。山車は歌舞伎の名場面や、歴史物語の場面に作られております。夜の山車行列はライトアップされており、まさに豪華絢爛です。国指定重要無形民俗文化財にもなっております。

25日は本祭りです。天満神社例大祭に引き続き御輿渡御行列、その後ろに山車行列が続きます。行列には、傘廻し、挟箱や熊の積毛を持つ伊達組衆の妙技、雅楽を奏する伶人などの古式ゆかしい時代絵巻を観ることができます。

26日は後祭り。新荘護國神社秋季例大祭にはじまり、萩野・仁田山鹿子踊奉納があり、街では飾り山車が展示されます。鹿子踊は県指定無形民俗文化財になっており、護國神社と戸沢神社に奉納されます。かもしかを模した鹿子踊は全国唯一です。また、今年は被災された東北3県の伝統の祭りをお迎えし、震災の復興を願って披露していただきましました。

「山形花笠まつり」勇ましい掛け声と花笠太鼓が高らかに真夏の夜に響く

スポンサード リンク

Flower Hat Dance
Flower Hat Dance / robotpolisher


華やかに彩られた蔵王大権現の山車を先頭に、【ヤツショ、マカショ。】の勇ましい掛け声と花笠太鼓が高らかに真夏の夜に響き渡り、あでやかな衣装に身を包んだ1万人を超える踊り手の躍動感あふれるダイナミックな踊りと、やまがたの花である『紅花』をあしらった笠の波がうねり咲きこぼれます。

第51回 山形花笠まつり
2013年8月5日(月)から7日(水)の3日間
18時から21時30分頃まで
第51回(平成25年度)山形花笠まつりパレード参加団体を募集します。

「第51回山形花笠まつりパレードを、今年も8月5日(月)・6日(火)・7日(水)の3日間、 午後6時~午後9時30分頃、山形市十日町~本町~七日町通りで実施いたします。
募集期間は6月1日(土)から6月20日(木)までとなっております。
詳しくは事務局までお問合せください。

引用元:山形花笠まつり
以前は一糸乱れぬ集団美が『山形花笠まつり』の醍醐味でしたが、今は華麗な 正調女踊り【薫風(くんぷう)最上川】・勇壮な正調男踊り【蔵王(ざおう)暁光(ぎょうこう)】の他、花笠踊り発祥の地・尾花沢地方のダイナミックな笠回しや、趣向を凝らした創作踊りなど、多彩な踊りが観客を魅了します。さらに、ゴール地点のオープニング花笠輪踊りやミス花笠をはじめ、個性豊かな飛び入り参加の踊り手も加わり、パレード会場の興奮と感動は最高潮に達します。

リロバケーションズ宿泊予約プロモーション

現在パレードで歌われている「花笠音頭」の歌詞は、従来からあった2歌詞に加え、県内外から公募した13歌詞を加えた15歌詞で構成されており、最上川の流れに沿った各地の名所名物を歌い込んだものになっています。

一夜に、市の人口よりも多い30万人以上もの見物客がつめかけ、“西の阿波踊り、東の花笠踊り”と言われるほど人気が高い。また、海外でも“Flower Hat Dance”の名で知られており、外国人見物客も数多く訪れる。

踊りは、もともと村山地方にあった花笠音頭をベースにしているが、パレード向けに振り付けを変え、歌詞も公募して決められた。花笠音頭そのものは蔵王大権限に五穀豊穣を祈る田植踊りに由来しており、その民俗芸能的な名残も祭りの中に見てとれる。

飛び入り参加もできる参加型パレード華やかに彩られた蔵王大権現の山車を先頭に、「ハー、ヤッショ、マカショ!」の勇ましい掛け声と花笠太鼓が高らかに真夏の夜に響き渡り、あでやかな衣装に身を包んだ1万人を超える踊り手の躍動感あふれるダイナミックな踊りと、山形の県花である『紅花』をあしらった笠の波が大通りを埋め尽くす。

こうした熱気あふれるパレードをもっと堪能するなら、参加するのが一番。ゴール地点のオープニング花笠輪踊りでは、振り付けを教えてくれる踊りの先生もいます。パレードの最後尾には飛び入りコーナーがあり、毎年、パレードに吸い込まれるように、一人、二人と見物客が加わっていき、熱気は最高潮に達する。

各地でそれぞれ踊られていたものを統一し、集団のパレード形式にあらため、名称を「花笠音頭」とされましました。唄も山形市を中心に村山地方で古くから唄い継がれてきたものに山形のシンボル最上川に沿った名所を県民から募集し、昭和38年夏第1回の花笠まつりが催された。

ゴール地点のオープニング花笠輪踊りやミス花笠をはじめ、個性豊かな飛び入り参加もできる参加型パレード華やかに彩られた蔵王大権現の山車を先頭に、「ハー、ヤッショ、マカショ。
】の勇ましい掛け声と花笠太鼓が高らかに真夏の夜に響き渡り、あでやかな衣装に身を包んだ1万人を超える踊り手の躍動感あふれるダイナミックな笠回しや、趣向を凝らした創作踊りなど、多彩な踊りが観客を魅了します。

みちのくの小京都として知られる秋田県の角館で“やまぶっつけ”と呼ばれるぶつかり合いを展開する「角館祭りのやま行事」

スポンサード リンク

角館祭りのやま行事
Photo:角館祭りのやま行事 By overhilowsee

角館のお祭り(かくのだてのおまつり)は、秋田県仙北市の角館地域の鎮守である神明社と成就院薬師堂の祭で、毎年9月7日~9月9日に行われる。3日間、町を一色に染めあげる祭り絵巻は、山車を曳く若者はもちろん、祭り見物の人も魅了します。大置山、人形、おやまばやし、手踊り、どの一つをとっても、長い伝統と庶民の守り育てた結晶が現代まで生きています。また、曳山には「飾山おやまばやし」の囃子方が乗り、舞台では秋田美人のメッカ、北仙北地方の踊り子が手踊りを踊ります。

路地の行きと帰りで曳山がかち合った時、通行の優先権をめぐる交渉が持たれ、決裂すると威勢のいい掛け声とともに曳山を衝突させるやまぶっつけが行われる。やまぶっつけまで発展することはごく稀だが、いざ始まると何度も何度も、それこそ曳き手が精根尽き果てるまで何時間もぶつかり合いは繰り返される。通例として、やまぶっつけが行われるのは祭り最終日の9日夜だ。

引用元:角館まつりのやま行事/秋田県 - 旅行情報&地域活性化サイト - 旅家/tavinci(タビンチ)
近年、祭りそのものが形骸化し神の存在を忘れたかのような行事が多くなりつつあるとき、角館の“お祭り”には、神を待ち、神をいただくという素朴な信仰が色濃く残り、さらに、若者の力の極限まで出しきる壮烈な激突まで、まさに日本の祭りの原点があります。

うまく交渉がつかなければ、力づくで山車をぶつけて押し通す山車ぶっつけ。互いの曳山をぶつけ合い、力づくで通る、とてもエキサイティングなお祭り。この激突が祭りの最大の見せ場であり,曳き手もお囃子も観衆も一体となって沸き上がる興奮と熱気に包まれる。

リロバケーションズ宿泊予約プロモーション

角館町最大のお祭りが毎年9月7日~9日の3日間、夜を徹して開催されます。地域の繁栄や商売繁盛、家族の無病息災などを祈願するもので、神明社(9月7、8日)と薬師堂(9月8、9日)の祭りが一緒になったものです。お祭りのはじまりは、今から350年ほど前です。一方で飾山(おやま)ばやしに合わせての優雅な踊りと飾られた豪華な人形も楽しめる、美しさと勇壮さをあわせもつお祭りです。

手踊りは、神明社・薬師堂への参拝や佐竹北家への上覧、張番への通行あいさつ等の際に踊られます。
彼女らは、子供のころからの手習いで、素晴らしい踊りを披露してくれます。

引用元:Photo of Akita 角館祭りのやま行事
この時は祭りのクライマックスにふさわしく曳き手もお囃子も最高潮に達します。狭い路上の行き(上りやま)と帰り(下りやま)で,通行の優先権を巡って交渉。

角館の山車は一度小屋を出たら決して同じ道をたどってはならない、初めてとおる道だけで3日後無事に小屋へとたどり着く、そういう美学があるからなのだそうで、このルールのほかにも角館のお祭りには沢山の昔ながらの掟が残り、現在も厳格に守られています。

角館といえば、やまぶつけで有名ですが、これは主に9日の深夜、山車同士に道を譲る譲らないの争いであり、山車同士を突き合わせて前に部分をどんどん上にあげていきます。

絶世の美女、小野小町の出生地、秋田県湯沢市で毎年8月の七夕の時期に開催されている「七夕絵どうろうまつり」

スポンサード リンク

湯沢市物産観光情報 七夕絵どうろうまつり

七夕絵どうろうまつりでは、浮世絵や美人画などが描かれた大小数百の絵どうろうが、夕やみの夜空を艶やかに彩ります。インストリートではハッとするような色っぽい美人画が描かれた大型の絵どうろう。こうして、七夕の夜の湯沢は、素敵な明かりの灯る街並みに変身します。

8月5日・6日・7日に開催
 湯沢の「七夕絵どうろうまつり」は、秋田藩佐竹南家七代目義安公に、京都の公卿鷹司家から「おこし入れ」された姫君が、京都への郷愁やるかたなき想いを五色の短冊に託し、青竹に飾りつけたのが始まりといわれています。
 期間中、家々では青竹に五色の短冊や吹流し等をつり下げて門前に飾るほか、浮世絵美人が描かれた大・小数百個の絵どうろうが通りに下げられます。
 日暮れ時ともなれば、これらの絵どうろうに一斉に灯がともされ、市内一円が一大不夜城と化します。その色彩と優雅さは、全国にも例のないお祭りです。

引用元:七夕絵どうろうまつり
七夕露天商祭り的な感じもしないでもないんですが、絵どうろうが夕闇に浮かぶ姿は幻想的で、すばらしいです。毎年、8月5・6・7日に行われ、三百余年の伝統を誇っています。

浮世絵や美人画が描かれた大小数百の絵どうろうが、夕やみの夜空を艶やかに彩ります。夜には、アーケードの電気を消し、絵どうろうの灯りのみを楽しむ時間が設けられるなど、絵どうろうの美しさを満喫できるように、と工夫が凝らされています。



また、期間中は絵どうろうの審査や七夕踊り、“力水”七夕の呈茶席、湯沢城址散策、七夕ちょうちん行列、七夕健康マラソン、物産展など多彩な催しが行われます。

夏の夕涼みに七夕踊りや太鼓演奏が繰り広げられる通りをそぞろ歩いて、浮世絵美人との出会いをお楽しみください。

絶世の美女、小野小町の出生地、秋田県湯沢市で毎年8月の七夕の時期に開催されている七夕絵どうろうまつり。お祭りでは、夜になると絵どうろうがひときわ夜空に映えて、とても風雅な光景になります。

小さな湯沢の街を絵どうろうが照らし、多くの人たちが絵どうろうを縫うようにしてそぞろ歩く、情緒漂うこの祭り。6mを超える大型のものから80cmの小さなサイズまで、大小約300の絵どうろうが、青竹に飾られた色とりどりの短冊や吹き流しとともに夏の夜空を彩る。

湯沢絵どうろうまつりは、秋田藩佐竹南家に京都からおこし入れされた姫君が京への郷愁を五色の短冊に託し青竹に飾りつけたのが始まりとされた、約300年の歴史ある祭りで、浮世絵や美人画が描かれた大小数百の絵どうろうが、夕やみの夜空を艶やかに彩ります。

「秋田 花輪囃子」本漆と金粉で彩られた豪華絢爛な屋台、夜を徹して鳴り響く賑やかなお囃子

スポンサード リンク

花輪ばやし 谷地田町
花輪ばやし 谷地田町 / zunsanzunsan


秋田 花輪囃子は花輪の総鎮守・幸稲荷神社に奉納される祭礼囃子として長い歴史を誇る。日本三大囃子の一つ(神田囃子・祇園囃子)といわれる花輪ばやし。京都の祇園囃子、東京の神田囃子と並んで、日本三大ばやしの一つとして紹介されています。リズミカルなお囃子とゆっくりした優雅な手踊りは、不思議な組み合わせ。

秋田県鹿角市のお祭り 花輪ばやしのご案内
十和田八幡平国立公園の観光拠点として、古くは金や銅の産地として栄えてきた秋田県鹿角市。
この町に、日本一の祭ばやしと評価されている夏祭り「花輪ばやし」があります。絢爛豪華な十の屋台が集合し、二日間に渡り競演を繰り広げます。祭りが行われる毎年、8月19日・20日は、地元の人はもちろん観光客も訪れて、華やかな賑わいを見せます。鳴り響く楽器と、沸き上がる歓声。北国の夏のパワーを体感して下さい!

引用元:花輪ばやしガイド 秋田県鹿角市の祭り 花輪ばやし
屋台が繰り出される華麗な祭りの光景もいいが、花輪ばやしが始まる前の8月16日の神輿(みこし)渡御の神官たちの素朴な巡行の姿などの土臭さなどは秋田ならではの情緒だろう。

躍動的なお囃子と威勢のよい掛け声とともに、漆や金箔で仕上げられた各町自慢の意匠を凝らした絢爛豪華な屋台。

市内の花輪地区の幸稲荷神社の祭典であり、祭礼囃子が盛大に行なわれる。

本漆と金粉で彩られた豪華絢爛な屋台、夜を徹して鳴り響く賑やかなお囃子が特長で、祭り囃子の響演が鹿角の街に響き渡ります。花輪ばやしのお囃子は中太鼓、打太鼓、笛、三味線、摺り鉦で構成されています。煌びやかに装飾された豪華絢爛な10台の屋台の中で夜通し、このお囃子が鳴り響きます。



躍動的なお囃子と威勢のよい掛け声とともに、漆や金箔で仕上げられた各町自慢の絢爛豪華な屋台が、花輪商店街通りへ繰り出します。角館のお祭りは、佐竹藩の時代から氏神である神明社と、それより古い鎮守の薬師堂があり、普通は宵宮と本祭りの2日間で行われるお祭りが、変則的な3日間で行われます。

躍動感溢れるリズムとお囃子とともに豪華絢爛な屋台が町中を練り歩き、夜を徹して鳴り響くお囃子は日本一の祭り囃子。

境内にたかれた柴灯のもとで繰り広げられる勇壮なナマハゲの乱舞は、見る者を魅了する。

このお祭りで気づくのは若者達が非常に多く、また凛とした面持ちで参加している事です。

三吉梵天祭は力の神、三吉霊神にあやかろうと威勢よく先陣を競い、境内を激しくもみあいながら奉納する勇壮さが大きな特徴。

最新記事

(09/11)
(09/11)
(09/10)
(09/10)
(09/10)
(09/10)
(09/10)
(09/10)
(09/10)
(09/10)

楽天市場



ぽけかる倶楽部の日帰りツアー・イベント

日帰り遊びのぽけかる倶楽部

ブログ内検索

最新記事

(09/11)
(09/11)
(09/10)
(09/10)
(09/10)
(09/10)
(09/10)
(09/10)
(09/10)
(09/10)

PR