スポンサード リンクPhoto:Sendai - Tanabata Matsuri - Fukinagashi (仙台・七夕祭り・吹流し) By YoAndMi仙台七夕まつりは,青竹に飾られた和紙と風が織りなす夏の風物詩。吹き流しや仕掛けものなど趣向をこらした1500本をこえる竹飾りが,アーケード街にアーチを描きます。その豪華さは目を見張るばかりですが,市民の心意気でそれぞれの地区の街角を彩る吹き流しもなかなかのもの。夕方からのイベント「星の宵まつり」では、華やかなステージが繰り広げられます。
前夜祭として行われる花火祭は,西公園周辺がベストロケーション。
引用元:仙台七夕まつり | せんだい旅日和
仙台七夕まつりは、絢爛豪華な飾り付けばかりが特徴ではありません。仙台伝統の七つ飾りがどの竹飾りにも下げられていることや、本物の和紙で作られる手作りの七夕飾りなど、400年間続く仙台七夕の良き伝統が現代にもきちんと守られております。仙台七夕まつりは新しい試みを加えつつ、仙台の誇れる文化として次世代へと継承されていくことでしょう。
わが国では、平安時代以来、宮中の乞巧奠は清涼殿の東庭でおこなわれたと伝えられています。これが民間にも普及されたのは江戸時代で、少女は技芸の上達を願い、男の子も字が上手になるようにと、さと芋の葉の露で墨をすり短冊に和歌や願いごとを書きましました。仙台に七夕祭が始まったのは伊達政宗時代と伝えられています。わが国の七夕祭は、中国の乞巧奠そのままの行事ばかりでなく、以前から行われていた日本固有の信仰がからんでいましました。七夕祭の飾り付けには、七つの飾り物があり、色々のいわれがあります。
仙台では、七夕の笹のついた竹は、その小枝を落とし物干竿に使用し、小枝は七夕飾りのついたまま7日朝(時代によっては8日朝)、広瀬川に笹を流して、水を浴び、洗い物をしましました。この日を七日浴(なぬかび)とも七日盆ともいい、本来は「みそぎ」をして盆祭に入る準備をする日だったのです。
仙台発祥のくす玉今では仙台の七夕飾りの大きな目玉の1つともなっている「くす玉」を考案したのは、一番町の森天佑堂の主人、森権五郎さんという方でしました。昭和21年ころ、まだ復興もおぽつかないある日のこと、森さんは庭に咲く美しいダリアの花に目をとめましました。そして思ったのです。「この花を七夕飾りに利用できないか」…と。さっそく、きれいな京花紙をかごに付けて二つ合わせ、丸くして飾ってみましました。これが仙台のくす玉の始まりです。以来、その華やかさにひかれて、いつしか吹き流しとともに七夕の主流となりましました。
伝統を受け継ぐ中にも、現代的なセンスがキラリと光る笹飾りは、市民や各商店が工夫を重ねた手作りによるもの。規模の大きな祭りでありながら、ほのぼのとした温もりが感じられるのは、こんなところにも起因しているのです。
1873(明治6)年の五節句廃止後は全国的には七夕衰微に向かう中、仙台七夕は古来より農業やお盆と深く関わってきたことが、独自の七夕を形成してきたと言ってよいでしょう
1923年(大正12)年の関東大震災後の不景気を乗り切るため、商店街では連合大売出しが企画されましました。従来の七夕にはなかった“商店街の七夕”が登場しましました。
1926(大正15)年には、東一番丁、名掛丁、新伝馬町、大町通り、国分町、南町通、大町五丁目共同会で、会長の佐々木重兵衛氏を中心に、桜井常吉氏、三原庄太氏らが協力して、町内一斉に七夕を飾りつける高さ約5mの大笹2本を設置
1928(昭和3)年、不景気で衰微に傾く七夕の復興をめざして「第1回全市七夕飾り付けコンクール」が行われましました。その後、七夕は年毎に盛大になり、第5回開催の1932(昭和7)年では、当時の仙台市の人口20万人に対し七夕の人出は15万人を数え、全国に仙台七夕の名をとどろかせましました。“観光七夕”がクローズアップされてくるのもこの頃です。
戦後、1946(昭和21)年の8月6日・7日の両日、東一番丁、新伝馬町、大町通り、国分町、立町通りなど11町会で、8月6日夕方から一斉飾りつけをし、3日2夜にわたる七夕が復活しましました
戦後、1946(昭和21)年の8月6日・7日の両日、東一番丁に10年ぶりの竹飾り52本が立てられましました。戦後七夕の復興です。当時の新聞には「涙の出る程懐かしい十年ぶりの七夕祭」との見出しが踊りましました。
復活した仙台七夕まつり不景気を吹き飛ばそうと昭和2年、商家の有志達が仙台商人の心意気とばかりに、華やかな七夕飾りを復活させましました。大町五丁目共同会で、会長の佐々木重兵衛氏を中心に、桜井常吉氏、三原庄太氏らが協力して、町内一斉に七夕を飾りつけましました。久しぶりにその光景を目にした仙台っ子達は喝采し、飾りを一目見ようとする人で街はあふれましました。
江戸時代の仙台七夕まつり江戸風の七夕をとり入れた仙台では、七夕まつりのことを「たなばたさん」といいましました。仙台藩祖政宗公は七夕に関する和歌を8首詠んでおります。この時すでに七夕の行事を取り入れていることがわかります。
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