スポンサード リンク黒石寺蘇民祭は、天台宗妙見山黒石寺で夜を徹して行われる行事で、薬師信仰をもとに、裸の男と炎の祭りとし、裸参り、柴燈橙り、別当登り、鬼子登りなどがあり、翌日未明からは堂の前で男たちが東西に分かれ、裸で押し合いながら蘇民袋を奪い合う。
備後国風土記には、旅に出た武塔神(素戔嗚尊)が宿を請うたところ、富裕な弟の巨旦将来はことわったが、貧しい兄の蘇民将来は宿にとめ歓待したため、茅の輪の護符を腰につけるように教えられ疾病を免れたと語られています。
807年(大同2年)飛騨(岐阜県)の工匠が方七間の薬師堂を再建し、849年(嘉祥2年)慈覚大師円仁が復興して妙見山黒石寺と改名しました。
岩手県内では毎年1月から3月にかけて複数の蘇民祭が行われ、岩手の蘇民祭の名称で国の選択無形民俗文化財として選択されています。
岩手県奥州市水沢区の天台宗の古刹、妙見山黒石寺(みょうけんざんこくせきじ)で毎年旧暦の1月7日夜半から翌8日早暁にかけて行われる黒石寺蘇民祭は、下帯姿の男たちが五穀豊饒と厄除け祈願をする、一千年の伝統を持つ祭りです。
黒石寺で行われる
黒石寺蘇民祭は、裸の男と炎の祭とし、災厄を払い、五穀豊穣を願う裸参りに始まり、柴燈木登、別当登、鬼子登と夜を徹して行われる。黒石寺は、天台宗の古刹で8世紀の創建といえば東北地方では最も古い時代のお寺にあたります。
蘇民祭は、薬師信仰千古の歴史にのっとり、五穀豊穣と災厄祓いを願って、裸参り、柴燈木登(ひたきのぼり)、別当登(べっとうのぼり)、鬼子登(おにごのぼり)と続き、祭りのクライマックス・蘇民袋争奪戦に至る水と炎の織りなす勇壮な裸祭りである。
蘇民祭はあくまで、観光の祭りではなくご薬師さまのご利益を自分の力で得る祭りですので、その点を踏まえて、その日くらいは肉、魚、卵、乳製品などの生臭いものを口にせず、身を清め、ご薬師さんの前に来て欲しいとのことです。
晴明判(魔よけの星象吼)や〈蘇民将来子孫〉などの文字を記した六角柱または八角柱の短い棒で、房状の飾りや紐をつけて帯に結び下げるようになったものもある。
蘇民祭の創生期にはふんどしを締めていましたが、激しい争奪戦で横廻しを強く引かれて内臓破裂で死亡した事故があり、それ以来素裸となったいきさつがあったといわれています。素裸の習俗は相当長く続いたようですが、明治になって素裸が禁止されました。 現在、観光化されて多くの見物者が訪れるようになり、ふんどし着用が義務づけられている。
祭りのクライマックスを飾るのが、この祭りを全国的に有名にした蘇民袋争奪戦。蘇民祭はその名のとおり蘇民将来(そみんしょうらい)を祭り、五穀豊穰、家内安全を祈願する祭りである。
http://ma2ri.iku4.com/Entry/11/「黒石寺蘇民祭」ジャッソージャッソーと景気の良いかけ声をかけ、裸で押し合いながら蘇民袋を奪い合う