忍者ブログ
スポンサード リンク

祭りいくよ!

日本には心沸き立つ、すばらしい祭りがたくさんあります。お囃子、太鼓、山車が走る、花火大会。日本の心。日本の祭 2013。

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

「入谷の朝顔まつり」日本最大の朝顔市は、江戸末期から続く江戸情緒豊かな夏の風物詩

スポンサード リンク

Iriya Asagao (Morning Glory) Festival 入谷朝顔まつり
Photo:Iriya Asagao (Morning Glory) Festival 入谷朝顔まつり By pictureTYO

「入谷の朝顔まつり」は、東京都台東区の入谷鬼子母神を中心に100余りの朝顔の店が軒を連ね、色鮮やかな大輪の花が人々の目を楽しませます。下町風の服装をした売り子たちの威勢のいい呼び声が飛び交い、3日間で約12万鉢が売れるこの朝顔市は、混雑時には行き来ができないほどの人で賑わいます。

朝顔まつり(朝顔市)は毎年七月の六日から八日までの三日間開催します。この朝顔市と言いますのは、入谷鬼子母神を中心として、言問通りに百二十軒の朝顔業者と百軒の露店(縁日)が並び、毎年四十万人の人出で賑わいます。

 この入谷の朝顔が有名になったのは江戸末期の文化・文政の頃です。最初は御徒町の下級武士、御徒目付の間で盛んに栽培されておりましたものが、御徒町の発展と江戸幕府の崩壊に伴いまして、入谷に居りました十数件の植木屋が造るようになります。そしてその出来栄えが大変素晴らしかったので、明治中期になりますと、往来止めをしたり、木戸銭を取って見せるほど有名になります。なぜ入谷の朝顔がこんなに盛んになったのかと言いますと、入谷田圃の土が朝顔造りに適していたこともありますけれども、当時流行しました朝顔と言いますのは「変わり咲き」です。この「変わり咲き」と言いますのは朝顔の花が、桔梗の花のように咲いたり、牡丹の花のように咲いたり、二重に咲いたりして、花粉の交配によって色々な花を咲かせる事ができたので、最盛期には一千種類もの朝顔があり、変化にとんだ花を咲かせ楽しませてくれてたのであります。

引用元:入谷朝顔まつり(朝顔市)公式ホームページ


鴬谷駅から歩いて5分ほど、入谷の鬼子母神周辺で催される「入谷の朝顔まつり」は、ほおずき市と並ぶ下町の夏の風物詩だ。日の出とともに開く朝顔の習性に合わせて、早朝5時からスタートします。言問通り(ことといどおり)沿いにずらり100軒近くの露店が、色とりどりの朝顔を並べる様は圧巻です。

夏の風物詩として親しまれている大国魂神社の「すもも祭」

スポンサード リンク



「すもも祭」は、源頼義・義家父子が、奥州安倍氏平定(前9年の役)途中、大國魂神社に戦勝祈願をし、戦に勝ち凱旋の帰途、戦勝御礼詣りに李子(すもも)を供えたことが起源とされます。

7月20日 すもも祭
夏の風物詩。境内にすもも市がたつようになったのが、名前の由来。

引用元:すもも祭|7月のお祭り|厄除け・厄払いは大國魂神社(東京・府中)
諸説ありますが、甲州街道を伝って山梨からすももを献上にきていたことが所以らしく、この祭りでもすももを売る店がかなりいます。

神代の昔、御歳神様が虫害や、災難を取り除く方法をいろいろ教えられたうちに「からす扇を以って、扇げ」というお告げに基づいているとか。

からす団扇を以って扇ぐと、農作物の害虫は駆除され、又、病人は直ちに平癒し、玄関先に飾ると魔を祓いその家に幸福が訪れるといわれ、これを受ける人達で境内は終日賑わい、参道には李子を売る店をはじめ多数の露天商が軒を連ねます。



五穀豊穣、悪疫防除、厄除の信仰をもつ「からす団扇」「からす扇子」の表面には羽を広げたカラス絵が描かれており、その裏面には鳥居に「六所宮」の文字があるのは、先にも述べた武蔵の国の六神社をここに集め合祀したためであります。

敷地内には緑も多く、図書館や、ふるさと府中歴史館もあり、休憩やトイレなども利用出来るので、安心して楽しめます。また、祭神の大國魂大神は縁結びの神様として有名で、恋愛成就を願う参拝者が多く、境内には結婚式場も併設しています。

GW中に行われるくらやみ祭りは国府祭に由来するといわれる伝統ある祭礼です。この例大祭は4月30日の潮盛に始まり、5月5日のみこし渡御を経て、6日のみこし還御に至る神事の総称です。

閻魔大王自ら目を犠牲にして治した!? 眼病平癒で有名な源覚寺の「こんにゃくえんま例大祭」

スポンサード リンク

P2086300
Photo:P2086300 By uma_sumomo


「こんにゃくえんま例大祭」は、別名「こんにゃくえんま」と呼ばれる小石川・源覚寺の大祭です。例大祭は、江戸時代の公休だった「やぶ入り」に合わせて1月15・16日と7月15・16日に行われ、ご祈願を済ませて半紙にくるんだこんにゃくを約300枚、祭りの2日間で振る舞っています。

閻魔さまは、冥界にあって亡くなった人の生前の罪業を裁断する十王のうち、最も知られているひとりです。

源覚寺の閻魔さまの右目部分は割れて黄色く濁っています。
それにはこんな言い伝えがあります。

宝暦年代のころ(1751年〜1764年)、眼病を患った老婆が閻魔大王に21日間の祈願を行ったところ、夢の中に大王が現れ「願掛けの満願成就の暁には、私の両目の内、ひとつを貴方に差し上げよう」と言われたそうです。
満願の日に、老婆の目は治りました。
以来、大王の右目は盲目となりました。
老婆は感謝のしるしとして好物の「こんにゃく」を断ち、それを供えつづけたということです。

このことから、源覚寺の閻魔さまは「こんにゃく閻魔」と呼ばれるようになり、眼病治癒の閻魔さまとして人々の信仰を集めています。

引用元:源覚寺のご紹介|源覚寺
その変わったネーミングは、「江戸時代後期、眼病を患った老婆に閻魔が自らの右目を与えて癒し、それに感謝した老婆が自分の好物のこんにゃくをお礼に供えた」という故事に由来するらしく、右眼が黄色く濁っているが、閻魔王が信心深い老婆に己の右眼を与え、老婆は感謝のしるしとして ”こんにゃく” を供えつづけたという言い伝えがあります。



故事は現代にも受け継がれており、2003(平成15)年に改築された閻魔堂の前には、まるでこんにゃく屋の店先のように“袋入りのこんにゃく”がきれいに並べられています。期間中は、ほおずきの鉢植え販売のほか、模擬店や物産展、コンサートなどの楽しい催し物が多数行われるのだとか。

そのほか、戦時中(昭和12年)のサイパン島「南洋寺」に寄進され、1974(昭和49)年にオークランド市から返還された鐘も保存されています。

万病、特に喘息、扁桃腺など喉の病気にご利益があると伝えられる勝專寺の「えんま開き」

スポンサード リンク

勝専寺
Photo:勝専寺 By jun560

足立区千住にある勝專寺(千住二丁目)では、毎年1月の15日と16日、7月の15日と16日に、普段は閉ざされている閻魔堂の扉が開かれ、「えんま大王」をお参りする「えんま詣」を行う風習が今も残っています。

勝專寺の閻魔大王は、寛政元年(1789年)、徳川十一代将軍家斉の時代に造立した座像で、小正月の1月15日・16日とお盆の7月15日・16日に一般開帳しています。

閻魔堂は朱塗の山門をくぐってすぐ左手にあり、薄暗いお堂の奥には、目を大きく見開き、恐ろしい形相の赤ら顔に赤い服(全身朱の漆塗り)をまとった高さ180センチメートルの閻魔大王(座像)が安置されています。

この日にお参りすれば日頃の罪を許してもらえるほか、万病、特に喘息、扁桃腺など喉の病気にご利益があると伝えられており、多くの人が参拝に訪れます。

リロバケーションズ宿泊予約プロモーション

寺の縁起によると勝專寺は、鎌倉時代の文応元年(1260年)創建という古刹で、千住の子どもたちにとっては昔から「おえんま様」と「ボロ市」で親しまれていましたが、「ボロ市」は昭和30年代から衰退し、現在では見られません。

仏教世界では10人の裁判官だったのが、日本に伝わって民間信仰に移行する際に、この10人の王の中で、なぜか閻魔王がピックアップされる事になって、10人の役割を一手に引き受ける形となったのが、現在、一般によく知られているエンマ様・・・という事になります。

スカイツリーの側の道具の街・浅草かっぱ橋本通りの「下町七夕まつり」

スポンサード リンク

DSC09030
Photo:DSC09030 By Jill

平成25年 第26回下町七夕まつりが開催されます。

期間は、平成25年7月5日(金)〜7月10日(水)の6日間。
おおよそ例年どおり、あの七夕まつりの賑わいが帰ってきます。
7月6日(土)、7月7日(日)は歩行者天国になり、自由に散策できます。(両日とも10:00〜19:00)
雨天の際のイベント中止情報は、03-3847-9343(本部)に確認してください。

「下町七夕まつり」とは?

浅草六区の西から道具街を横切り、上野にかけて約1.2km続く「かっぱ橋本通り」にて毎年催される、下町七夕まつり実行委員会主催のお祭りです。[地図はこちら]

たくさんの七夕飾り、地元商店の出店、そして音楽や踊り、様々なパフォーマーが集まり、この長い通り全体が手作り感のある活気で満たされ、商店街が一年で最高の賑わいをみせる晴れの舞台です。是非ご覧あれ!

引用元:浅草かっぱ橋本通り・下町七夕まつり
話題のスカイツリーの側となる、合羽橋本通りは七夕の街毎年7月7日に近い週末を中心に、上野駅入谷口からつくばエキスプレス浅草駅まで、東西1.2kmのかっぱ橋本通り沿いで「かっぱ橋本通り 下町七夕まつり」を開催します。

道の両側にはたくさんの大きな七夕飾りが飾られ、土日には歩行者天国になって各種パレードの開催や露店が出され、たくさんの見物客で賑わいます。

国内航空券エアーズゲート<br />

期間中に飾られる、大小様々な七夕飾り、提灯などが、通りに連なる様子は圧巻です。
笹の葉さらさら、吊り飾りはキラキラ、これは通りを「天の川」に見立てる意図もあり、昼と夕方でもまた違った表情を見せます。

当日は、歩行者天国になり、自由に散策できる。時間は両日とも10時~19時。また、警視庁白バイ隊や警視庁音楽隊、地元小学校による鼓笛隊など、大人数を動員したにぎやかな各種パレードを実施。パレードとおわら節は上野側から出発し、浅草側へと行進します。

「阿波踊り」「佐渡おけさ」をはじめとして、夕方まで通りのあちらこちらで繰り広げられる路上パフォーマンスや出店などを気ままに観賞できます。

「たまやー」「かぎやー」の掛け声の由来の「隅田川花火大会」

スポンサード リンク

吾妻橋第一会場花火3
吾妻橋第一会場花火3 / k1sakaue


隅田川花火大会は、1732年に発生した大飢饉とコレラの死者を弔うため、1733年7月9日、両国の川開きに花火を催したのが始まりとされています。当時は20発前後の花火で、かなりのんびりとしたものでした。

2013年7月27日(土)に隅田川花火大会が行われます。

歴史のある隅田川の花火は全国に知れ渡っていますが、今に伝わる「隅田川花火大会」の名称は昭和53年からと意外と新しい名称です。

その前は「両国の川開き」が呼び名として昭和36年まで使用されていて、昭和37年に交通事情の悪化に伴い開催されなくなりました。

打上げ最初期は鍵屋が担当でしたが、1810年に鍵屋の分家の玉屋が創業し、2業者体制となり、双方が腕を競い合っていたそうです。

鍵屋と玉屋は異なる打上げ場所から交互に花火を揚げたため、観客は双方の花火が上がったところで、よいと感じた業者の名前を呼びました。

これが花火見物でおなじみの「たまやー」「かぎやー」の掛け声の由来と言われています。

隅田川花火大会は、毎年8月に開催される東京湾大華火祭や神宮外苑花火大会とともに東京三大花火大会の一つに数えられるほど大きな花火大会です。

是非会場付近でご覧なられてはいかがでしょうか☆

引用元:トピックス | 東京下町問屋街
当初打ち上げは鍵屋が担当していましたが、1810年に鍵屋の分家の玉屋が創業し、2業者体制となり、双方が腕を競いあっていました。鍵屋と玉屋は異なる打ち揚げ場所から交互に花火を揚げたため、観客は双方の花火が上がったところで、よいと感じた業者の名を呼びました。これが、花火見物でおなじみの「たまやー」「かぎやー」の掛け声の由来といわれます。

当時評判がよかったのは玉屋のほうで、「玉やだと又またぬかすわと鍵や云ひ」と川柳にあるように、玉屋の掛け声ばかりで鍵屋の名を呼ぶものがいない、といわれた時代もあります。ただし、玉屋は1843年に火災を起こし、江戸処払いを命じられ、1代限りで断絶したといわれています。ただし、その後も江戸のすぐ近くで細々と営業していたという説もあります。

VIPライナー

両国川開きの花火は、明治維新や第二次世界大戦などにより数度中断しました。また、1961年から1977年まで、交通事情の悪化等により中断しましたが、1978年に現在の名称として復活し、以後毎年続けられています。

毎年100万人近い人出が見込まれるこの大会は、桜橋下流から言問橋上流までの第1会場と、駒形橋下流から厩橋上流の第2会場合計で2万発以上の花火が打ち上がり、同時に、花火コンクールが行われます。

「佃の盆踊り」は東京中心部にたった一つだけ伝承を許された古い盆踊り

スポンサード リンク



佃の盆踊りは、佃島念仏踊りともいわれ、幕府のきびしい治安維持政策のため規制された盆踊りなどのうち、佃島念仏踊りは東京中心部にたった一つだけ伝承を許された古い盆踊りです。それも「ただの盆踊りではなく、念仏踊り」と地元の人が言うように、安易な変質をせずに伝統を守り続けてきたため、古風で素朴な味わいを残した貴重な踊りなのです。

「佃島の盆踊り」
●2013年7月13日(土)~15日(月)
佃1丁目付近で繰り広げられる念仏踊り。
東京都の無形文化財に指定されている。
子供:午後18時~19時30分
大人:午後20時~21時過ぎまで

引用元:7月のイベント情報:中央区観光協会
そもそも佃島は「徳川家康が江戸入城に際し、摂津多田の廟や住吉神社への参詣のおり、摂津西成郡佃島の漁師が漁船で家康の一行を渡したのが起縁で、天正年間(1573〜1591)に、名主の森孫右衛門以下三十四人の漁師たちがこの隅田の中州、佃島に移り住んだのが始まり」(「民謡のふるさとを行く」)といわれ、この由来のため江戸時代には佃島の人たちは「大変な羽振りであった」ようです。

これら佃島への初期移住者集団は、また本願寺教団の信徒でもあり、佃島への念仏踊りの伝達に重要な役割を果たしたと考えられています。

佃島念仏踊りは、「京都本願寺の「チンバ踊り」を伝えたものという伝承がある」(「日本の民謡」)、「念仏踊りに歌われる歌も京都の本願寺のチンバ踊を移したもの」(辞典)というように、歌・踊りとも京都本願寺から移植したという言い伝えが残っています。



佃島の念仏踊りで感動的なのは、それが娯楽onlyの現代風盆踊りにならずに、まだ昔の人たちの民間信仰の心をかたちとして感じることができることです。

このように、精霊棚の存在は、佃島盆踊りが「無縁仏」の供養のための念仏踊りという性格を持っていることを明確に示すものとなっていて、注目されます。この念仏踊りとも呼ばれる佃島盆おどりは、他所の盆踊りとは性格が異なり、あくまでも仏様(無縁仏)の供養のために踊るものだそうです。

江戸にタイムトリップ!?パレードも楽しい「江戸趣味納涼大会・うえの夏まつり」

スポンサード リンク

뭔지 모를 조각상 2탄
Photo:뭔지 모를 조각상 2탄 By 승균 한

江戸情緒を味わえる、上野の納涼祭りである「江戸趣味納涼大会・うえの夏まつり」は、「森と水と光」をテーマにした夏祭りで、毎年7月に東京都台東区の上野中央通りで行われます。期間中は上野公園や不忍池畔にぼんぼりを飾り、植木市や盆栽市を開催。茶屋イベントやダンスパレード、音楽イベントなども行われます。

第62回うえの夏まつり
2013年7月13日(土)~8月11日(日)
夕涼みの人々が都内や近県から訪れる真夏の祭典。主な催し物は7月20日(土)パレード、7月23日(火)氷の彫刻。そのほか水上音楽堂で納涼演歌まつりなどの演芸も期間中行われる。

引用元:第62回うえの夏まつり 上野・御徒町のイベント:るるぶ.com
落語や講談、浪曲なども日替わりで行われ、赤い野点傘の下で不忍池や旧寛永寺五重塔などを眺めれば江戸風情を満喫できます。

マル得ホテル予約

上野公園・不忍池の周辺では、毎年恒例となる植木・骨董(こっとう)市が開催され、7月末の週末におこなわれるパレートには、戦前戦後を通じて上野駅が東日本の玄関駅であった事から、地元高校生参加のマーチングバンドを筆頭に、東北各地方の夏祭りにちなんだパレードで多く見られまます。

賑やかな売声は夜を徹して浅草の夜空にこだまする「浅草観音四万六千日 ほおずき市」

スポンサード リンク

46000days
Photo:46000days By yukari abe

東京・下町の夏の風物詩「ほおずき市」が、浅草寺(せんそうじ)境内で、例年7月9日、10日の2日間開かれます。浅草寺境内には都内や茨城県など周辺の園芸農家から続々と植木鉢が運び込まれ、約120軒のほおずきの露店で賑わいます。

四万六千日 ほおずき市

開催日程:平成25年7月9日、10日
開催場所:浅草寺境内
 
 7月9日、10日に浅草観音に参拝すれば、一日だけで四万六千日参拝したのと同じご利益があるといわれています。この縁日に合わせ、境内にほおずきの市がたちます。

引用元:四万六千日 ほおずき市 台東区ホームページ 
観音さまのご縁日は「毎月18日」ですが、これとは別に室町時代以降に「功徳日」と呼ばれる縁日が新たに加えられました。月に一日設けられたこの日に参拝すると、百日分、千日分の参拝に相当するご利益(功徳)が得られると信仰されてきました。

なかでも7月10日の功徳は千日分と最も多く、「千日詣」と呼ばれていましたが、浅草寺では享保年間頃より「四万六千日」と呼ばれるようになり、そのご利益は46,000日分(約126年分)に相当するといわれるようになりました。

「ほおずき市」が「四万六千日」のご縁日に「雷除」のお札が浅草寺から授与されるようになり、今日に至っているのだそうです。

リロバケーションズ宿泊予約プロモーション

そもそもこの市は、芝の愛宕(あたご)神社の縁日に始まり、「ほおずきを水で鵜呑(うの)みにすると、大人は癪(しゃく)を切り、子どもは虫の気を去る」といわれるなど薬草として評判であったようです。

その愛宕神社の縁日は観音さまの功徳日にならい四万六千日と呼んでいたのですが、やがて「四万六千日ならば浅草寺が本家本元」とされ、ほおずきの市も浅草寺境内に立つようになり、愛宕神社をしのいで盛大になったものです。

一方、江戸の昔、落雷のあった農家で「赤とうもろこし」を吊るしていた農家だけが無事であったことから、文化年間(1804~18)以後に「雷除(かみなりよけ)」のお札を受ける人も多数。

四六時(一日)の千日分が四万六千で、これが根拠になったとか、源頼朝が石橋山の合戦に敗れ、源氏ゆかりの将兵を集めて、浅草寺境内に陣したときが7月10日で、その軍勢が四万六千騎あったという説など色々ある。

7月10日は浅草観音様の功徳日の中でもそのご利益が最も多い「四万六千日」分というから、これはお参りするですね。

源平の時代の様相で囃子の音も賑やかに沖へ下る「鳥越神社水上祭形代流し」

スポンサード リンク

開催日 大祓茅野輪くぐり6月30日 20:00〜、水上祭形代流し7月1日 10:00〜
開催地 柳橋〜東京湾内

引用元:鳥越神社 水上祭形代流し | イベント情報 | エキサイトシーズン
鳥越神社水上祭形代流しは「夏越しのはらい」で奉納された形代(新年から半年間の厄やけがれを移した人形)を、祭壇を飾り五色の幣帛をたてた御座船(ござふね)につんで、鳥越神社の社名旗を翻した数十艘の群船に警護されて、柳橋河岸より大川路(隅田川)を囃子の音も賑やかに沖へ下るようすはさながら源平の時代のそれのように壮観です。

KOTOBUS

沖合いに舟揃えした氏子舟に囲まれた御座船では、奏楽の音と共に水上祭の儀が荘厳に執り行われ、罪障消滅の御祈祷がなされ、海底の奥底にある、罪(つみ)穢(けがれ)の根元、根の国底の国にこの罪穢を祓い清め、無病息災、寿命長久を祈念」するのだそうです。

最新記事

(09/11)
(09/11)
(09/10)
(09/10)
(09/10)
(09/10)
(09/10)
(09/10)
(09/10)
(09/10)

楽天市場



ぽけかる倶楽部の日帰りツアー・イベント

日帰り遊びのぽけかる倶楽部

ブログ内検索

最新記事

(09/11)
(09/11)
(09/10)
(09/10)
(09/10)
(09/10)
(09/10)
(09/10)
(09/10)
(09/10)

PR