日本には心沸き立つ、すばらしい祭りがたくさんあります。お囃子、太鼓、山車が走る、花火大会。日本の心。日本の祭 2013。
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朝顔まつり(朝顔市)は毎年七月の六日から八日までの三日間開催します。この朝顔市と言いますのは、入谷鬼子母神を中心として、言問通りに百二十軒の朝顔業者と百軒の露店(縁日)が並び、毎年四十万人の人出で賑わいます。
引用元:入谷朝顔まつり(朝顔市)公式ホームページ
この入谷の朝顔が有名になったのは江戸末期の文化・文政の頃です。最初は御徒町の下級武士、御徒目付の間で盛んに栽培されておりましたものが、御徒町の発展と江戸幕府の崩壊に伴いまして、入谷に居りました十数件の植木屋が造るようになります。そしてその出来栄えが大変素晴らしかったので、明治中期になりますと、往来止めをしたり、木戸銭を取って見せるほど有名になります。なぜ入谷の朝顔がこんなに盛んになったのかと言いますと、入谷田圃の土が朝顔造りに適していたこともありますけれども、当時流行しました朝顔と言いますのは「変わり咲き」です。この「変わり咲き」と言いますのは朝顔の花が、桔梗の花のように咲いたり、牡丹の花のように咲いたり、二重に咲いたりして、花粉の交配によって色々な花を咲かせる事ができたので、最盛期には一千種類もの朝顔があり、変化にとんだ花を咲かせ楽しませてくれてたのであります。
諸説ありますが、甲州街道を伝って山梨からすももを献上にきていたことが所以らしく、この祭りでもすももを売る店がかなりいます。7月20日 すもも祭
引用元:すもも祭|7月のお祭り|厄除け・厄払いは大國魂神社(東京・府中)
夏の風物詩。境内にすもも市がたつようになったのが、名前の由来。
その変わったネーミングは、「江戸時代後期、眼病を患った老婆に閻魔が自らの右目を与えて癒し、それに感謝した老婆が自分の好物のこんにゃくをお礼に供えた」という故事に由来するらしく、右眼が黄色く濁っているが、閻魔王が信心深い老婆に己の右眼を与え、老婆は感謝のしるしとして ”こんにゃく” を供えつづけたという言い伝えがあります。閻魔さまは、冥界にあって亡くなった人の生前の罪業を裁断する十王のうち、最も知られているひとりです。
引用元:源覚寺のご紹介|源覚寺
源覚寺の閻魔さまの右目部分は割れて黄色く濁っています。
それにはこんな言い伝えがあります。
宝暦年代のころ(1751年〜1764年)、眼病を患った老婆が閻魔大王に21日間の祈願を行ったところ、夢の中に大王が現れ「願掛けの満願成就の暁には、私の両目の内、ひとつを貴方に差し上げよう」と言われたそうです。
満願の日に、老婆の目は治りました。
以来、大王の右目は盲目となりました。
老婆は感謝のしるしとして好物の「こんにゃく」を断ち、それを供えつづけたということです。
このことから、源覚寺の閻魔さまは「こんにゃく閻魔」と呼ばれるようになり、眼病治癒の閻魔さまとして人々の信仰を集めています。
話題のスカイツリーの側となる、合羽橋本通りは七夕の街毎年7月7日に近い週末を中心に、上野駅入谷口からつくばエキスプレス浅草駅まで、東西1.2kmのかっぱ橋本通り沿いで「かっぱ橋本通り 下町七夕まつり」を開催します。平成25年 第26回下町七夕まつりが開催されます。
引用元:浅草かっぱ橋本通り・下町七夕まつり
期間は、平成25年7月5日(金)〜7月10日(水)の6日間。
おおよそ例年どおり、あの七夕まつりの賑わいが帰ってきます。
7月6日(土)、7月7日(日)は歩行者天国になり、自由に散策できます。(両日とも10:00〜19:00)
雨天の際のイベント中止情報は、03-3847-9343(本部)に確認してください。
「下町七夕まつり」とは?
浅草六区の西から道具街を横切り、上野にかけて約1.2km続く「かっぱ橋本通り」にて毎年催される、下町七夕まつり実行委員会主催のお祭りです。[地図はこちら]
たくさんの七夕飾り、地元商店の出店、そして音楽や踊り、様々なパフォーマーが集まり、この長い通り全体が手作り感のある活気で満たされ、商店街が一年で最高の賑わいをみせる晴れの舞台です。是非ご覧あれ!
当初打ち上げは鍵屋が担当していましたが、1810年に鍵屋の分家の玉屋が創業し、2業者体制となり、双方が腕を競いあっていました。鍵屋と玉屋は異なる打ち揚げ場所から交互に花火を揚げたため、観客は双方の花火が上がったところで、よいと感じた業者の名を呼びました。これが、花火見物でおなじみの「たまやー」「かぎやー」の掛け声の由来といわれます。2013年7月27日(土)に隅田川花火大会が行われます。
引用元:トピックス | 東京下町問屋街
歴史のある隅田川の花火は全国に知れ渡っていますが、今に伝わる「隅田川花火大会」の名称は昭和53年からと意外と新しい名称です。
その前は「両国の川開き」が呼び名として昭和36年まで使用されていて、昭和37年に交通事情の悪化に伴い開催されなくなりました。
打上げ最初期は鍵屋が担当でしたが、1810年に鍵屋の分家の玉屋が創業し、2業者体制となり、双方が腕を競い合っていたそうです。
鍵屋と玉屋は異なる打上げ場所から交互に花火を揚げたため、観客は双方の花火が上がったところで、よいと感じた業者の名前を呼びました。
これが花火見物でおなじみの「たまやー」「かぎやー」の掛け声の由来と言われています。
隅田川花火大会は、毎年8月に開催される東京湾大華火祭や神宮外苑花火大会とともに東京三大花火大会の一つに数えられるほど大きな花火大会です。
是非会場付近でご覧なられてはいかがでしょうか☆
そもそも佃島は「徳川家康が江戸入城に際し、摂津多田の廟や住吉神社への参詣のおり、摂津西成郡佃島の漁師が漁船で家康の一行を渡したのが起縁で、天正年間(1573〜1591)に、名主の森孫右衛門以下三十四人の漁師たちがこの隅田の中州、佃島に移り住んだのが始まり」(「民謡のふるさとを行く」)といわれ、この由来のため江戸時代には佃島の人たちは「大変な羽振りであった」ようです。「佃島の盆踊り」
引用元:7月のイベント情報:中央区観光協会
●2013年7月13日(土)~15日(月)
佃1丁目付近で繰り広げられる念仏踊り。
東京都の無形文化財に指定されている。
子供:午後18時~19時30分
大人:午後20時~21時過ぎまで
落語や講談、浪曲なども日替わりで行われ、赤い野点傘の下で不忍池や旧寛永寺五重塔などを眺めれば江戸風情を満喫できます。第62回うえの夏まつり
引用元:第62回うえの夏まつり 上野・御徒町のイベント:るるぶ.com
2013年7月13日(土)~8月11日(日)
夕涼みの人々が都内や近県から訪れる真夏の祭典。主な催し物は7月20日(土)パレード、7月23日(火)氷の彫刻。そのほか水上音楽堂で納涼演歌まつりなどの演芸も期間中行われる。
観音さまのご縁日は「毎月18日」ですが、これとは別に室町時代以降に「功徳日」と呼ばれる縁日が新たに加えられました。月に一日設けられたこの日に参拝すると、百日分、千日分の参拝に相当するご利益(功徳)が得られると信仰されてきました。四万六千日 ほおずき市
引用元:四万六千日 ほおずき市 台東区ホームページ
開催日程:平成25年7月9日、10日
開催場所:浅草寺境内
7月9日、10日に浅草観音に参拝すれば、一日だけで四万六千日参拝したのと同じご利益があるといわれています。この縁日に合わせ、境内にほおずきの市がたちます。
鳥越神社水上祭形代流しは「夏越しのはらい」で奉納された形代(新年から半年間の厄やけがれを移した人形)を、祭壇を飾り五色の幣帛をたてた御座船(ござふね)につんで、鳥越神社の社名旗を翻した数十艘の群船に警護されて、柳橋河岸より大川路(隅田川)を囃子の音も賑やかに沖へ下るようすはさながら源平の時代のそれのように壮観です。開催日 大祓茅野輪くぐり6月30日 20:00〜、水上祭形代流し7月1日 10:00〜
引用元:鳥越神社 水上祭形代流し | イベント情報 | エキサイトシーズン
開催地 柳橋〜東京湾内
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