日本には心沸き立つ、すばらしい祭りがたくさんあります。お囃子、太鼓、山車が走る、花火大会。日本の心。日本の祭 2013。
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鳥越神社は東京都台東区鳥越にある神社で、白雉2年(651年)日本武尊を祀って白鳥神社と称したのに始まりといい、前九年の役征圧のため源頼義、義家父子が当時の蔵前を通ったときに、白い鳥が飛ぶのを見て浅瀬を知り大川と呼ばれる隅田川を渡ることができましました。開催日程:平成25年6月8日、9日
引用元:鳥越祭 台東区ホームページ
8日 大祭式 10時
9日 宮出 6時30分
宮入 21時
開催場所:鳥越神社
鳥越神社の宮神輿は「一千貫」と称し、都内随一の大きさを誇っています。日曜日には、この神輿を氏子たちが担ぎ、町内を練り歩きます。夕刻、神輿の弓張提灯と町会の高張提灯に火が入ると、祭りは最高潮を迎えます。この宮入道中は、「鳥越の夜祭り」と言われています。
江戸時代後期には既に町内単位で祭礼が行われていたが、明治に入り、東京で運行できなくなった山車を買い付けて曳き回すようになったのが、青梅大祭の始まりだといいます。使えなくなった山車は、青梅市、川越市、熊谷市、鴨川市などの江戸周辺の地方都市に売り払われたため、今となっては貴重な江戸・天下祭の山車人形(だしにんぎょう)は、これらの地方都市に行かないと見ることができなくなった。平成25年の青梅大祭は、5月2日~3日に盛大に挙行されました。
引用元:ごあいさつ
品川海上禊祓式(汐汲み・お浜降り)は「汐盛り」とも呼ばれる神事であり、神職一行が品川海上に出て身を清めるとともに、清めの汐水を神社に持ち帰り、大祭期間中の朝夕潔斎時にはこの汐水を使用します。4月30日 くらやみ祭 ~5/6
引用元:くらやみ祭|5月のお祭り|厄除け・厄払いは大國魂神社(東京・府中)
大祭中は、品川海上禊祓式、祈晴祭、競馬式、鎮座祭などが行われる。大國魂神社最大のお祭り。
祭礼は今のように本社神輿をかつぎ廻ることよりも、むしろ氏子十八ヶ町や、片町、茅町、天王町、黒船町、三好町などから繰り出された山車が中心で、各町がおのおのの趣向で行列の勢いと絢爛さを競い合ったようです。平成25年度三社祭日程/5月17日(金)・18日(土)・19日(日)
引用元:浅草神社 | 三社祭 | 日程
「天下祭」として知られる神田祭は、元和年中までは船渡御であったと言われ、延宝年中までは毎年行なわれていましたが、山王祭(赤坂・日枝神社)と隔年となり、今の2年に一度が恒例となりました。江戸幕府の庇護を受け、江戸城内に入り、徳川将軍の上覧を得た為に日枝神社の山王祭りとともに天下祭りと呼ばれ、日本三大祭り・江戸三大祭りの一つにも数えられています。平成25年神田祭日程一覧です 【日程】
引用元:神田祭|日程【神田祭日程、イベント一覧】
5月 9日(木)夕刻 鳳輦・神輿遷座祭
10日(金)夕刻 氏子町会神輿神霊入れ
11日(土)終日 神 幸 祭
12日(日)終日 神輿宮入
14日(火)午前11時 献茶式(表千家家元奉仕)
午後6時 明神能・幽玄の花(金剛流薪能、有料)
15日(水)午後2時 例大祭
西奈彌羽黒神社の神幸祭は、寛永10年6月7日、臥牛山の中腹から現在地へ遷座されたことを記念して行われている年中行事です。またこの羽黒神社の遷宮をお祝いして、大町の人たちが大八車に太鼓を積んで町じゅうを練り回したのが、村上大祭の始まりと伝えられています。城下町村上ならではの勇壮にして華麗な祭り。
引用元:町屋から眺める村上大祭|伝統・絢爛・情熱 村上大祭|おすすめ情報|村上市観光協会 -鮭・酒・人情 むらかみ-
彫刻を施し、村上伝統の堆朱・堆黒の粋をこらしたオシャギリ
その中には、二百年以上前のものもあり、まさに絢爛!
7月6日(宵祭り) ・ 7月7日(本祭り)
その他にも、中越震災や水害をきっかけに県内踊りチーム主体で始まった、上・中・下越3地域での絆「地域合同連」や、チーム・地域を超えて、感動をつくるため、ひとつになる「合同演舞」もあり、他県の踊り祭りにはない活動を展開しています。ジャズダンス、Hip Hop、クラシック、サルサ、民謡、よさこい、IZANAI、ミュージカル調、ベリーダンス、コンテンポラリー、フラ、ボールルーム等、どんなジャンルの踊りでも参加できます。新しい踊りや演出、ジャンルなど、にいがた総おどりに新風を吹かせるチャレンジ精神をもった皆さんの参加をお待ちしています。きっと、心動かす大きな感動につながることでしょう。
引用元:にいがた総おどりとは | にいがた総おどり
祭りの舞台は、商店街ですので会場毎の個性があります。飲食屋台やさまざまなブースが出展し、演舞エリアが広いメイン会場、踊り子との距離が驚く程近い会場、町の風情あふれる会場。来場される皆さんは、チームを応援しながら各会場を観て回って、お気に入りのお店やお土産を見つけたり。毎年参加している踊り子さんには「おかえりなさい」と声がかかったり、演舞をねぎらう手作りの差し入れがあったり。そんな商店街の方との交流も魅力のひとつです。
二本松提灯祭り(にほんまつちょうちんまつり)は福島県二本松市にある二本松神社の例大祭。日本三大提灯祭りの一つに数えられており、その祭礼囃子は、福島県重要無形民俗文化財に指定されている。また2011年に祭り自体も福島県重要無形民俗文化財に指定された。
引用元:二本松提灯祭り - Wikipedia
毎年10月4日 - 6日に開催される。伝統300余年、7台の太鼓台(本町(もとまち)・亀谷町(かめがい)・竹田町・松岡町・根崎町・若宮町・郭内(かくない))にそれぞれ300個余りの提灯をつけて町内を曳き回す。
同じ二本松藩内の同様な祭礼として、本宮市の安達太良神社(本宮明神)祭礼の太鼓台、北部先囃子、南部先囃子、東部太鼓台、郡山市の安積国造神社(郡山八幡)祭礼、二本松市小浜の塩松神社祭礼などがある。
八幡神社の地元にある地域(宮元)には、『上町』・『さい花』・『立綱』・『若錦』・『横町』・『滝乃川』 と6地区がそれぞれ屋台を繰り出しています。6台の屋台がトーナメント形式でそれぞれ屋台の前棒をぶつけ合い押し合いをして押された方が負けとなります。屋台の中には太鼓があり中で太鼓をたたき続けています。 太鼓が止まったら負けになるのでどんな事があっても太鼓を打ち続けています。激突の時や前棒がせり上がって天高くなっても下で太鼓の打ち手を抱き上げても撃ち続けるのです。太鼓の音が祭りを盛り上げますね、見ている観客も『押せ・押せ』などと声援を送ってます。奥州三名湯の飯坂温泉にある飯坂八幡神社(いいざかはちまんじんじゃ)では、毎年10月に、「八幡神社例大祭」が行われます。この例大祭は、「飯坂けんか祭り」と呼ばれ、大阪・岸和田の『地車祭り』、秋田・角館の『飾山ばやし』とともに「日本三大けんか祭り」の一つといわれています。
引用元:福島を観光する | 一般社団法人 福島市観光物産協会公式ページ こらんしょふくしま
祭りのクライマックス「宮入り」では大勢の若者達に担がれた6台の太鼓屋台が激しくぶつかり合いながら神輿の宮入りを阻みます。
約800余年の歴史と伝統を誇る会津田島祇園祭が3日間にわたり開催されます。呼び物の「七行器行列」は、別名「花嫁行列」とも呼ばれ、シャンギリというお囃子が流れる中、花嫁姿の女性が神社に向かって行列します。そのほか、シャンギリの笛太鼓とともに歌舞伎の大屋台曳きが行われる「大屋台運行」「神輿渡御」「子供歌舞伎」などが行われます。お党屋制と呼ばれる古式ゆかしい行事を通して、郷土の誇り高き伝統が感じられるお祭りで、昭和56年に国の重要無形民俗文化財に指定されましました。田島祇園祭の由来
引用元:会津田島祇園祭
今から約800年以上の昔、鎌倉時代の 文治年間(ぶんじねんかん)に、この地方を治めることになった長沼五郎宗政(ごろうむねまさ)が、旧地で信仰の厚かった 牛頭天王(ごずてんのう)・須佐之男(すさのお) 命(みこと) を奉 斎(さい)し、 天王社(てんのうしゃ)として祭ったことが始まりで、その後、今から400年前の慶長8年に、領主長沼盛実が京都八坂神社に準じた祭礼格礼を取り入れ、「祭の決まり」を定めて、現在の祇園祭に至ったとされています。
祇園信仰は疫病から守ってもらう祈りや、自分たちの元にこないように祓ってもらう信仰です。
伊達政宗が会津を支配した時代に、一時、祭は出来なくなりましたが、祭礼を定めた慶長8年に住民が当時の城代(じょうだい) 小倉作(おぐらさく)左(ざ)衛門(えもん)にお願いして、祭が再興されました。当時は、天王祭と呼んで6月15日に行われていたようです。
明治4年、天王社は田出宇賀神社に合祀となり、田出宇賀神社例祭が祇園祭と合併の祭日となりました。
更には熊野神社の例祭日が明治12年に同一日になるなど、様々な改変を重ねてきましたが、祇園祭の伝統は、牛頭天王奉鎮以来の社家である現宮司室井家により、脈々と今に伝わり、その礼式が保持されています。
このように、現在の祭礼の形態は幾多(いくた)の変遷(へんせん)を重ねてきていますが、慶長の復興願いの「しきたり」が基本となっているといわれています。
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