スポンサード リンク佃の盆踊りは、佃島念仏踊りともいわれ、幕府のきびしい治安維持政策のため規制された盆踊りなどのうち、佃島念仏踊りは東京中心部にたった一つだけ伝承を許された古い盆踊りです。それも「ただの盆踊りではなく、念仏踊り」と地元の人が言うように、安易な変質をせずに伝統を守り続けてきたため、古風で素朴な味わいを残した貴重な踊りなのです。
「佃島の盆踊り」
●2013年7月13日(土)~15日(月)
佃1丁目付近で繰り広げられる念仏踊り。
東京都の無形文化財に指定されている。
子供:午後18時~19時30分
大人:午後20時~21時過ぎまで
引用元:7月のイベント情報:中央区観光協会
そもそも佃島は「徳川家康が江戸入城に際し、摂津多田の廟や住吉神社への参詣のおり、摂津西成郡佃島の漁師が漁船で家康の一行を渡したのが起縁で、天正年間(1573〜1591)に、名主の森孫右衛門以下三十四人の漁師たちがこの隅田の中州、佃島に移り住んだのが始まり」(「民謡のふるさとを行く」)といわれ、この由来のため江戸時代には佃島の人たちは「大変な羽振りであった」ようです。
これら佃島への初期移住者集団は、また本願寺教団の信徒でもあり、佃島への念仏踊りの伝達に重要な役割を果たしたと考えられています。
佃島念仏踊りは、「京都本願寺の「チンバ踊り」を伝えたものという伝承がある」(「日本の民謡」)、「念仏踊りに歌われる歌も京都の本願寺のチンバ踊を移したもの」(辞典)というように、歌・踊りとも京都本願寺から移植したという言い伝えが残っています。
佃島の念仏踊りで感動的なのは、それが娯楽onlyの現代風盆踊りにならずに、まだ昔の人たちの民間信仰の心をかたちとして感じることができることです。
このように、精霊棚の存在は、佃島盆踊りが「無縁仏」の供養のための念仏踊りという性格を持っていることを明確に示すものとなっていて、注目されます。この念仏踊りとも呼ばれる佃島盆おどりは、他所の盆踊りとは性格が異なり、あくまでも仏様(無縁仏)の供養のために踊るものだそうです。
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