スポンサード リンクPhoto:46000days By yukari abe東京・下町の夏の風物詩「ほおずき市」が、
浅草寺(せんそうじ)境内で、例年7月9日、10日の2日間開かれます。
浅草寺境内には都内や茨城県など周辺の園芸農家から続々と植木鉢が運び込まれ、約120軒のほおずきの露店で賑わいます。
四万六千日 ほおずき市
開催日程:平成25年7月9日、10日
開催場所:浅草寺境内
7月9日、10日に浅草観音に参拝すれば、一日だけで四万六千日参拝したのと同じご利益があるといわれています。この縁日に合わせ、境内にほおずきの市がたちます。
引用元:四万六千日 ほおずき市 台東区ホームページ
観音さまのご縁日は「毎月18日」ですが、これとは別に室町時代以降に「功徳日」と呼ばれる縁日が新たに加えられました。月に一日設けられたこの日に参拝すると、百日分、千日分の参拝に相当するご利益(功徳)が得られると信仰されてきました。
なかでも7月10日の功徳は千日分と最も多く、「千日詣」と呼ばれていましたが、浅草寺では享保年間頃より「四万六千日」と呼ばれるようになり、そのご利益は46,000日分(約126年分)に相当するといわれるようになりました。
「ほおずき市」が「四万六千日」のご縁日に「雷除」のお札が浅草寺から授与されるようになり、今日に至っているのだそうです。
そもそもこの市は、芝の愛宕(あたご)神社の縁日に始まり、「ほおずきを水で鵜呑(うの)みにすると、大人は癪(しゃく)を切り、子どもは虫の気を去る」といわれるなど薬草として評判であったようです。
その愛宕神社の縁日は観音さまの功徳日にならい四万六千日と呼んでいたのですが、やがて「四万六千日ならば浅草寺が本家本元」とされ、ほおずきの市も浅草寺境内に立つようになり、愛宕神社をしのいで盛大になったものです。
一方、江戸の昔、落雷のあった農家で「赤とうもろこし」を吊るしていた農家だけが無事であったことから、文化年間(1804~18)以後に「雷除(かみなりよけ)」のお札を受ける人も多数。
四六時(一日)の千日分が四万六千で、これが根拠になったとか、源頼朝が石橋山の合戦に敗れ、源氏ゆかりの将兵を集めて、浅草寺境内に陣したときが7月10日で、その軍勢が四万六千騎あったという説など色々ある。
7月10日は浅草観音様の功徳日の中でもそのご利益が最も多い「四万六千日」分というから、これはお参りするですね。
http://ma2ri.iku4.com/Entry/35/賑やかな売声は夜を徹して浅草の夜空にこだまする「浅草観音四万六千日 ほおずき市」