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祭りいくよ!

日本には心沸き立つ、すばらしい祭りがたくさんあります。お囃子、太鼓、山車が走る、花火大会。日本の心。日本の祭 2013。

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3日間で150万人の人出が見込まれる「三社祭」は、東京の初夏を代表する風物詩

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三社祭 浅草、東京。Sanja Matsuri
三社祭 浅草、東京。Sanja Matsuri / Ari Helminen


浅草神社の三社祭は、正和元年(1312)から三社の神話に基づき船祭が始められたと云われています。
江戸時代には大祭前夜、神輿を観音本堂の外陣に安置されました。びんざさら舞も堂前の舞台で行われていました。そのことからもわかる通り、当時は浅草寺と一体となった祭りで、「観音祭」又は「浅草祭」と呼ばれました。

平成25年度三社祭日程/5月17日(金)・18日(土)・19日(日)

引用元:浅草神社 | 三社祭 | 日程
祭礼は今のように本社神輿をかつぎ廻ることよりも、むしろ氏子十八ヶ町や、片町、茅町、天王町、黒船町、三好町などから繰り出された山車が中心で、各町がおのおのの趣向で行列の勢いと絢爛さを競い合ったようです。

これが終わると「お堂下げ」と云って神輿三体を本堂からおろし、一之宮を先頭に浅草御門の乗船場まで担ぎます。

待機していた大森在住の漁師の供奉する船に神輿をのせ、浅草川(隅田川)を漕ぎあがって駒形から上陸し、浅草神社にかつぎ帰ったと云われています。

KOTOBUS

明治に入って廃絶し、明治五年から5月17日、18日の両日に祭礼を行い、現在の氏子各町に神輿の渡御を行うようになりましました。

浅草氏子四十四ヶ町の町内神輿約100基が浅草寺裏広場に参集、一基ずつ発進し、浅草神社でお祓いを受けた上で各町会に渡御します。

その後、本社御輿が各町会を渡御する「本社神輿各町渡御」を経て、夕刻に浅草神社へ戻る「宮入り」となります。

しかし、戦災により四之宮(明治初年、田町で新調した東照宮の神輿)を含む新旧7基全てを惜しくも焼失してしまいましました。

現在の神輿は氏子四十四ヶ町により、一之宮、二之宮が昭和25年に、三之宮が昭和27年に奉納されたものです。

神社でおはらいを受けた後、次々と渡御に出発し、担ぎ手たちは汗だくになりながら「エッサ、オイサ」の掛け声を出していた。

ウィキペディアによると浅草神社は明治に入るまでは浅草寺と一体であり、この時代には浅草寺の祭りとして行なわれていた。

神仏分離によって浅草寺と分離してからは浅草神社単体での祭りとなり発展したが、これは明治に入って以降のことである。

下町情緒あふれる浅草の町並みの中、多くの観光客とカメラマンであふれかえる沿道を、威勢の良い掛け声をあげながら神輿を担いで練り歩く江戸っこたちの姿は、勇ましい限りです。

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