日本には心沸き立つ、すばらしい祭りがたくさんあります。お囃子、太鼓、山車が走る、花火大会。日本の心。日本の祭 2013。
約800余年の歴史と伝統を誇る会津田島祇園祭が3日間にわたり開催されます。呼び物の「七行器行列」は、別名「花嫁行列」とも呼ばれ、シャンギリというお囃子が流れる中、花嫁姿の女性が神社に向かって行列します。そのほか、シャンギリの笛太鼓とともに歌舞伎の大屋台曳きが行われる「大屋台運行」「神輿渡御」「子供歌舞伎」などが行われます。お党屋制と呼ばれる古式ゆかしい行事を通して、郷土の誇り高き伝統が感じられるお祭りで、昭和56年に国の重要無形民俗文化財に指定されましました。田島祇園祭の由来
引用元:会津田島祇園祭
今から約800年以上の昔、鎌倉時代の 文治年間(ぶんじねんかん)に、この地方を治めることになった長沼五郎宗政(ごろうむねまさ)が、旧地で信仰の厚かった 牛頭天王(ごずてんのう)・須佐之男(すさのお) 命(みこと) を奉 斎(さい)し、 天王社(てんのうしゃ)として祭ったことが始まりで、その後、今から400年前の慶長8年に、領主長沼盛実が京都八坂神社に準じた祭礼格礼を取り入れ、「祭の決まり」を定めて、現在の祇園祭に至ったとされています。
祇園信仰は疫病から守ってもらう祈りや、自分たちの元にこないように祓ってもらう信仰です。
伊達政宗が会津を支配した時代に、一時、祭は出来なくなりましたが、祭礼を定めた慶長8年に住民が当時の城代(じょうだい) 小倉作(おぐらさく)左(ざ)衛門(えもん)にお願いして、祭が再興されました。当時は、天王祭と呼んで6月15日に行われていたようです。
明治4年、天王社は田出宇賀神社に合祀となり、田出宇賀神社例祭が祇園祭と合併の祭日となりました。
更には熊野神社の例祭日が明治12年に同一日になるなど、様々な改変を重ねてきましたが、祇園祭の伝統は、牛頭天王奉鎮以来の社家である現宮司室井家により、脈々と今に伝わり、その礼式が保持されています。
このように、現在の祭礼の形態は幾多(いくた)の変遷(へんせん)を重ねてきていますが、慶長の復興願いの「しきたり」が基本となっているといわれています。
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