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祭りいくよ!

日本には心沸き立つ、すばらしい祭りがたくさんあります。お囃子、太鼓、山車が走る、花火大会。日本の心。日本の祭 2013。

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石巻川開き祭りは、楽しそうに笑った子ども達を見ることができる鎮魂と復興の願いを込めた催し

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a beacon of hope from Tohoku
Photo:a beacon of hope from Tohoku By Shinichi Higashi

川開き祭りとは

石巻川開き祭りとは、宮城県石巻市において毎年8月1日、8月2日に開催され、 江戸時代に北上川の治水工事を行い、現在の石巻の発展の礎を築いた郷土の偉人である川村孫兵衛翁の偉業を称えるとともに、 水難事故によって亡くなった霊を弔う為に行われる祭りです。

花火大会、大漁踊り、孫兵衛船競漕など、様々なイベントが開催され、石巻周辺地域、宮城県内のみならず、 県外からのお客様も多数いらっしゃる、石巻地方最大の祭りです。

本年度は、3月11日に発生した大震災の被害を鑑み、亡くなった多くの方々の慰霊を主な目的とし、規模を縮小して開催されます。

引用元:川開き祭りとは - 石巻川開き祭りファンサイト
石巻川開き祭りは、仙台藩祖伊達政宗公の命受けて、北上川を開削した「川村孫兵衛重吉」の報恩感謝と街の繁栄を願って、また海難・水難者の慰霊をする祭りとして、大正5年(1916年)の旧盆7月20日に当時の石巻町主催で第1回が開催されましました。

2013年の川開き祭り開催が決定いたしました!
7月31日(水)・8月1日(木)の2日間で開催いたします

引用元:第90回 石巻川開き祭り 宮城県石巻市 復興への祈りを込めて
石巻川開き祭りは去年とは、街の雰囲気も変わり、例年の川開きの空気を取り戻していたように感じましました。震災から1年5ヶ月。まだまだ、復興の最中ですが、楽しそうに笑った子ども達を見ることができて、とても嬉しくなりましました。

この歴史ある川開き祭りの中でも鼓笛隊パレードは特別で、石巻市民は一生に一度だけ参加することが出来る大イベントなのです!自分が出て、子どもも出て、親戚が出るお祭りに集まった、大勢の人から注目されることになる、この鼓笛隊パレードで演奏をする小学生は、この日は街中のヒーローになります。

2006年の開催では、自衛隊松島基地のブルーインパルス展示飛行の行なわれました。

元来から、夏祭りならではのエネルギッシュなイベントを前に、供養祭、川施餓鬼供養祭などの祭典行事が厳粛に行われ、川の恵みへの感謝とご先祖様の供養に始まったお祭りで、東日本大震災の2011年も開催し、鎮魂と復興の願いを込めた催しです。

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石巻の夏は川開きで、夏になると川開きを思い故郷の石巻を感じる人は大勢いると思います。今年、鼓笛隊パレードを披露してくれた、小学生達へとつなげる、街づくりに参加しませんか? 今の石巻では多様な知恵と技術が集まり、ロンドンと同じぐらいに熱気を感じる街づくりが行われています。

石巻川開き祭りは石巻の誇りでしました。街の中を夏休み中の子ども達が楽しそうにはしゃいでいて。鼓笛隊パレードをやり終えた小学生は、その日は、とってもかっこ良く見える。今年で88回目を数える石巻川開き祭りは、石巻の人にとってとても大切なイベントです。

「仙台七夕まつり」1500本をこえる竹飾りの青竹に飾られた和紙と風が織りなす夏の風物詩

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Sendai - Tanabata Matsuri - Fukinagashi (仙台・七夕祭り・吹流し)
Photo:Sendai - Tanabata Matsuri - Fukinagashi (仙台・七夕祭り・吹流し) By YoAndMi

仙台七夕まつりは,青竹に飾られた和紙と風が織りなす夏の風物詩。吹き流しや仕掛けものなど趣向をこらした1500本をこえる竹飾りが,アーケード街にアーチを描きます。その豪華さは目を見張るばかりですが,市民の心意気でそれぞれの地区の街角を彩る吹き流しもなかなかのもの。夕方からのイベント「星の宵まつり」では、華やかなステージが繰り広げられます。
前夜祭として行われる花火祭は,西公園周辺がベストロケーション。

引用元:仙台七夕まつり | せんだい旅日和
仙台七夕まつりは、絢爛豪華な飾り付けばかりが特徴ではありません。仙台伝統の七つ飾りがどの竹飾りにも下げられていることや、本物の和紙で作られる手作りの七夕飾りなど、400年間続く仙台七夕の良き伝統が現代にもきちんと守られております。仙台七夕まつりは新しい試みを加えつつ、仙台の誇れる文化として次世代へと継承されていくことでしょう。

わが国では、平安時代以来、宮中の乞巧奠は清涼殿の東庭でおこなわれたと伝えられています。これが民間にも普及されたのは江戸時代で、少女は技芸の上達を願い、男の子も字が上手になるようにと、さと芋の葉の露で墨をすり短冊に和歌や願いごとを書きましました。仙台に七夕祭が始まったのは伊達政宗時代と伝えられています。わが国の七夕祭は、中国の乞巧奠そのままの行事ばかりでなく、以前から行われていた日本固有の信仰がからんでいましました。七夕祭の飾り付けには、七つの飾り物があり、色々のいわれがあります。

仙台では、七夕の笹のついた竹は、その小枝を落とし物干竿に使用し、小枝は七夕飾りのついたまま7日朝(時代によっては8日朝)、広瀬川に笹を流して、水を浴び、洗い物をしましました。この日を七日浴(なぬかび)とも七日盆ともいい、本来は「みそぎ」をして盆祭に入る準備をする日だったのです。



仙台発祥のくす玉今では仙台の七夕飾りの大きな目玉の1つともなっている「くす玉」を考案したのは、一番町の森天佑堂の主人、森権五郎さんという方でしました。昭和21年ころ、まだ復興もおぽつかないある日のこと、森さんは庭に咲く美しいダリアの花に目をとめましました。そして思ったのです。「この花を七夕飾りに利用できないか」…と。さっそく、きれいな京花紙をかごに付けて二つ合わせ、丸くして飾ってみましました。これが仙台のくす玉の始まりです。以来、その華やかさにひかれて、いつしか吹き流しとともに七夕の主流となりましました。

伝統を受け継ぐ中にも、現代的なセンスがキラリと光る笹飾りは、市民や各商店が工夫を重ねた手作りによるもの。規模の大きな祭りでありながら、ほのぼのとした温もりが感じられるのは、こんなところにも起因しているのです。

1873(明治6)年の五節句廃止後は全国的には七夕衰微に向かう中、仙台七夕は古来より農業やお盆と深く関わってきたことが、独自の七夕を形成してきたと言ってよいでしょう

1923年(大正12)年の関東大震災後の不景気を乗り切るため、商店街では連合大売出しが企画されましました。従来の七夕にはなかった“商店街の七夕”が登場しましました。

1926(大正15)年には、東一番丁、名掛丁、新伝馬町、大町通り、国分町、南町通、大町五丁目共同会で、会長の佐々木重兵衛氏を中心に、桜井常吉氏、三原庄太氏らが協力して、町内一斉に七夕を飾りつける高さ約5mの大笹2本を設置

1928(昭和3)年、不景気で衰微に傾く七夕の復興をめざして「第1回全市七夕飾り付けコンクール」が行われましました。その後、七夕は年毎に盛大になり、第5回開催の1932(昭和7)年では、当時の仙台市の人口20万人に対し七夕の人出は15万人を数え、全国に仙台七夕の名をとどろかせましました。“観光七夕”がクローズアップされてくるのもこの頃です。

戦後、1946(昭和21)年の8月6日・7日の両日、東一番丁、新伝馬町、大町通り、国分町、立町通りなど11町会で、8月6日夕方から一斉飾りつけをし、3日2夜にわたる七夕が復活しましました
戦後、1946(昭和21)年の8月6日・7日の両日、東一番丁に10年ぶりの竹飾り52本が立てられましました。戦後七夕の復興です。当時の新聞には「涙の出る程懐かしい十年ぶりの七夕祭」との見出しが踊りましました。

復活した仙台七夕まつり不景気を吹き飛ばそうと昭和2年、商家の有志達が仙台商人の心意気とばかりに、華やかな七夕飾りを復活させましました。大町五丁目共同会で、会長の佐々木重兵衛氏を中心に、桜井常吉氏、三原庄太氏らが協力して、町内一斉に七夕を飾りつけましました。久しぶりにその光景を目にした仙台っ子達は喝采し、飾りを一目見ようとする人で街はあふれましました。

江戸時代の仙台七夕まつり江戸風の七夕をとり入れた仙台では、七夕まつりのことを「たなばたさん」といいましました。仙台藩祖政宗公は七夕に関する和歌を8首詠んでおります。この時すでに七夕の行事を取り入れていることがわかります。

仙台・青葉まつりでは、途絶えかけた伝続の「すずめ踊り」を復元

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すずめ踊り@仙台・青葉まつり
すずめ踊り@仙台・青葉まつり / e_haya


風薫る五月の第3日曜日とその前日に開催される仙台・青葉まつり。その日は、賑やかな市がたち並び、街のあちらこちらでお囃子の音が響き、通りはすずめ踊りで埋めつくされる。日曜日は、神輿渡御や武者行列、そして11基の豪華絢爛な山鉾が登場する仙台山鉾巡行でまつりはクライマックスを迎える。

第29回 仙台・青葉まつりは
平成25年5月18日(土)・19日(日) 開催いたしました。
テーマ:「明日への力を 百万人の情熱祭」
多くの皆様のおかげで無事終了することができました。
ご来場・ご参加・ご協力頂いた全ての皆様に
心より感謝申し上げます。

引用元:仙台・青葉まつり
粋なすずめたちが街中で跳びはねる—宵まつり初日の「宵まつり」では、街中におはやしが流れ、1日中すずめ踊り一色に染まります。中央通や一番町の商店街では、あでやかな流し踊り。勾当台公園市民広場・国分町元鍛冶丁公園では子すずめ踊りや学生たちの元気あふれる舞台踊り。夕方からは、定禅寺通を会場に、初参加や飛び入りの子どもたちによる「すずめっ子1000人祭連(まづら)」や、各祭連の流し踊りが披露されます。

ケヤキの街路樹が美しい「定禅寺通り」今年で29回を数えるこの祭りは、「仙台七夕」や「SENDAI 光のページェント」と並ぶ仙台三大祭りの1つです。仙台藩祖・伊達政宗の偉業をしのび、伊達の文化や歴史を継承・発展させていくという、市民総参加型のイベントなのです。

巡行の先頭は、子ども武者や稚児などから成る「先導隊」です。後続は、「青葉神社神輿渡御(みこしとぎょ)」。政宗公の御霊が神輿に乗せられ、白装束に烏帽子を被った氏子によって担がれます。仙台藩士会の面々が裃(かみしも)姿で加わります。

青葉まつりの由来・概要

 江戸時代・仙台藩最大の祭りといえば、仙台祭であった。

 この祭りは承応4年(1655)年に始まり、毎年9月17日に行われた東照宮の祭りで、藩をあげて行われ最大70基の山鉾が城下を練り歩いた(山鉾がでるのは藩主が仙台にいる年のみ)。

 明治時代になると、これにかわって伊達政宗を祀って明治7年にできた青葉神社の礼祭(政宗の命日である5月24日に行われ、青葉祭りとも呼ばれた。)が盛んとなった。

 特に明治18年の政宗公没後250年祭や、昭和10年の300年祭には多くの山鉾が市中に出て盛大に行われた。

 しかし、これも昭和40年代後半、交通事情等により途絶えた。

 現在の青葉まつりは伊達政宗公没後350年を迎えた昭和60年に、長年途絶えていた「青葉まつり」が市民の祭りとして復活したもので、現在では仙台3大まつりの一つとして、市民の間にすっかり定着している。

引用元:仙台・青葉まつり 青葉まつりとは
歴史と伝統を堪能—本まつり2日目の「本まつり」の見どころは、市中心街で繰り広げられる「時代絵巻巡行」です。伊達政宗公を祭る青葉神社の神輿渡御(みこしとぎょ)を先頭に、政宗公本陣武者隊、豪華絢爛(けんらん)11基の山鉾巡行、すずめ踊り大流しへと続きます。



祭りは、震災に遭ったおととしは中止を余儀なくされましたが、昨年は再開され、その心意気は復興へ大きな弾みをつけましました。今年は「明日への力を 百万人の情熱祭」をテーマに、さらに復興の本格化につなげようとしています。

軽快にはね踊る「すずめ踊り」に乞うご期待(写真提供:仙台・青葉まつり協賛会)この踊りの軽快な動きには、目を見張り、引き込まれることでしょう。どうです? 見物するだけでなく、一緒に踊ってみませんか。この日は3回、だれでも飛び入りができるという演舞の機会が設けられます。

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